Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

校訂作業の目標のひとつ

Aというテクストを校訂していると,平行句などでBという別のテクストを参照する場合が生じます.

その場合,Bにはまだ,まともな批判校訂本がなかったりすることが多々あります.

すると困ることに,Bの読みが正しいのかどうか疑問が生じることになります.

Aのテクストを直そうにも,Bのテクスト(例えばAと同じような句がある)がどの程度信頼できるのか,自信を持てないわけです.

問題は,Bのテクストの校訂者が,勝手にAの昔の校訂を見て,写本情報を記すことなく変えている怖れがあるということです.

写本をそのまま記してくれている方がまだましです.

しかし,Aの出版本が既に存在する場合,Bの校訂者は,Aの昔の出版本を参照して,そして,読みを変えている場合がありうるのです.

Aの校訂を開始してBを参照したにもかかわらず,Bの校訂問題についてまで頭を巡らせねばならないことになります.

計算としてはかなり複雑な可能性を色々と考えねばなりません.

まして,Aの写本だけで手一杯なのに,Bの写本にまで溯って確認となると,仕事量も膨大になります.

まともな校訂本が少ない現状では,このようなことがしばしば起こります.

校訂に当たって重要なことは,写本にある読みをちゃんと記録に残すということです.

そうすれば,たとえ,採用した読みが間違っていたとしても,ヴァリアントとして記録しているので,後から別の読みを採用するという可能性が開けてきます.

しかし,何も記録に残さず訂正した場合,つまり,x,y,zの読みのうち,正しいと自分が思ったxだけを残して他を記さなかった場合,本当は正しいyに誰かが後から気がつく可能性が閉ざされてしまうことになります.

よりよい方向に向かって道を開いておくこと,よりベターな方向に持っていくように準備すること,それも,校訂の重要な貢献のひとつです.

もちろん,正しい読みが確定すればそれにこしたことはありません.

しかし,どちらがいいのか微妙な場合,その時点では判断がつきかねる場合ということは多々あります.

その場合にも,材料を残しておくこと,後の人に託せるように自分の到達点を記しておくことは重要です.

そうすれば,後から(それは自分かもしれませんし他人かもしれません)直すことが可能になります.

気がついたことは,やはり,しっかりと残しておかないと,永遠に失われてしまうことになりかねません.

以上のことは校訂作業だけでなく,訳注研究や思想史研究でも,また,思想研究でもあてはまることです.

自分の最終的な判断という答えだけを記すというのは,訂正可能性を残さない,検証のための証拠を残さないという点で,非科学的な態度となります.
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  1. 2015/09/29(火) 19:41:43|
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