Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

湿った薪との結合:所証の能遍である場合に,能証の非能遍であるもの

先週の授業の終わりのこと.

「先生ちょっといいですか」との質問で斉藤さんに尋ねられたのが,新論理学的な定義.

そう,ダルシャナをやる人なら一度はどこかで目にすることになるであろうウパーディの定義でした.

ウダヤナに見られる定義です.

問題はこうです.

煙から火の場合,この能証→所証の関係に問題はありません.

しかし,逆の場合,すなわち,火から煙の場合,この能証→所証の関係には問題があります.

この場合,遍充関係,もう少し詳しく言うと,能証が持つべき「所証によって遍充されていること」という性格に不十分な点があります.

なぜなら,火のあるところは煙のあるところを遍充していますが,逆はそうではないからです.

たとえば,鉄球や完全燃焼している薪のように,火を出しているが煙のないものがあるからです.

つまり,火があっても煙がない事例があるということです.

したがって,「火→煙」は言えません.

ここで登場してくる概念がウパーディです.

脇に置かれたもの.

本当のところ,煙を導く能力のあるものは何なのかといえば,それがウパーディにあたります.

具体的には,湿った薪との結合です.

「湿った薪との結合→煙」であれば,100%正しいのです.

この場合,等遍充となります.

したがって,「所証の等能遍である場合に」と記述される場合もありますが,方向性を大事にするなら,「等」は無視して構いませんが,実質的には等となります.

所証と等遍充なのですから,当然,A→Bが言えるわけです.

結果的にウパーディは,我々の実際の感覚では,所証を導く(論理的に引き起こす)隠れている本当の理由,とでもいうべきものになります.




教室で尋ねられたのは,上の定義を説明する次のナヴィヤ的な説明文です.

sādhyasamānādhikaraṇātyantābhāvāpratiyogitvaṃ sādhyavyāpakatvam/
sādhanavanniṣṭhātyantābhāvapratiyogitvaṃ sādhanāvyāpakatvam/

直訳するとギャグみたいですが,次のようになります.

所証と同じ基体を有する<Xの絶対無>のXでないことが,所証の能遍であること.
能証を持つものにある<Xの絶対無>のXであることが,能証の非能遍であること.

実際の所,たいしたことは言っていません.

つまり,煙があるところに必ずあるもので,かつ,火があるところに必ずしもあるわけではないものがウパーディということです.

たんに,「火(能証)→煙(所証)」という論証式の場合に,湿った薪との結合が,どのような位置を取るのかをナヴィヤ的に文章化しただけです.

二つの円が少しずれた図を示すと,ウパーディの位置づけが実感できます.

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この文章にはじめて出会ったのは,学部四年の時でした.

ちょうど前年度の三月に前田先生と原先生という印哲・印文の両巨頭が退官.

純粋にサンスクリットを教える人がいないという困った状況になっていました.

つまり,これからサンスクリットの中級で文献を読もうという時期に,先生の交替期という空白期に当たってしまったわけです.

前田先生の代わりにダルシャナの授業を担当されたのが中観の専門家として有名な江島先生.

4月には先生もやる気満々の様子でした.

学部のダルシャナ授業に相応しいテクストとして先生が選ばれたのが,先生が大昔に中村先生の授業で読んだという『サルヴァ・ダルシャナ・サングラハ』(全哲学綱要)の冒頭,すなわち,チャールヴァーカ(唯物論者)の章です.

しかし,この唯物論者の章.

『綱要』の冒頭だから,簡単に読めるだろうと,なめてはいけません.

なんと,そこには,いきなり上のウパーディの議論が登場してくるのです.

ダルシャナの専門家でもない江島先生には不運なことでした.

何十年前の中村先生の時の授業ノートは全く役に立たないことが判明.

黒板に,能遍・所遍,能証・所証の図を書いたり,あるいは,「いや,ベン図は嫌いだ」などと言いながら,完全に授業は混乱していました.

授業に出ていたのは,学部四年の私,それに修士一年の久間さん,それに,京大から移ってこられた同じくM1の西脇さん.

先生が分からないとなると,逆に,分かるまで徹底的にこだわりたくなるのが学生というもの.

あれこれ分かるまで調べ尽くして,ようやく自分で納得した覚えがあります.

宇野先生の解説だけでなく,JIPのナヴィヤ関連論文をあれこれひっくり返したりしていました.

その時あつめた論文が今もファイルに残っています.(いまやJIPは全てPDFで読めるので論文コピーは不要です.)

学生同士で議論して盛り上がっていました.先生は,むしろ置いてけぼりでした.




「湿った薪との結合」という単語を聞くと,あの頃を思い出します.

ガンゲーシャの『タットヴァ・チンターマニ』という書名で谷沢助手(当時35歳前後)と盛り上がっていました.

「またまた片岡が難しい質問もってきたぞ」などと笑いながら,谷沢さんも真剣に取り組んでくれ,あれこれと読み込んでから要諦を教えてくれたものです.

ウパーディとは何かなど,日本語で読んでもまず分からないでしょう.

なにしろその頃あった訳語が「添性」ですから.

この訳語から何かを読み取れというほうが土台無理というものです.

ダルシャナを研究しようとすると,日本語で読めるものが少ないので,学部の頃は,このような問題にすぐぶつかることになります.

しかし,自分であれこれと調べなければならないという意味では,最初から答えを教えられるよりも,よっぽど根性を鍛えられたかもしれません.独覚メソッドです.

ダルシャナをやると,何のトレーニングもできてない状態でいきなり,「はい,じゃあつぎは3000m,自力で登ってね」と言われるようことになるわけです.

そういうのが好きな人には合っているでしょう.ジャスト・トライ!

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  1. 2015/10/11(日) 19:23:22|
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