Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

排除と不排除の意味論

文には,実現可能なOKな文と,世間的に許されない,そうでない文(*)とがあります.

意味論を構築する際には,そのような言語事実に即して理論を組み立てる必要があります.

ディグナーガは,排除意味論だけがそのような言語事実をうまく説明できると考えていました.

整理すると次のような例文です.

上位:桜は木だOK
同位:木は樹だOK      桜は松だ
下位:この木は桜だOK

桜を上位の普遍と結びつけて説明することがあります.「この桜は木だ」「この桜は存在だ」などと.

また,同義語を並べるのも問題ありません.「木というのは樹だよ」という意味で「木は樹だ」と言えます.

また,下位の普遍である特殊と結びつけることもあります.特定化です.「この木は桜だ」「この木はソメイヨシノだ」というように.

しかし,同位であっても,排除しあうものは併置することができません.「桜は松だ」は世間的にはアウトです.

意味の世界において,桜は松と相互排除の関係にあります.

そのような排除の関係が意味の区分けを成り立たせているのです.

だから,意味論は,排除意味論として,否定的なものを根拠にして組み立てるべきだ,というのがディグナーガの主張です.

ディグナーガは以上を見事に半詩節で表現しています.

anyatve 'pi na sāmānyabhedaparyāyavācyanut/5:25cd

anyatve 他であること
api も
na ない
sāmānya 普遍
bheda 特殊
paryāya 同義語
vācya 表示されるもの
nut 排除する

他であっても(=自分以外のものであることに変わりはなくても),普遍[語]・特殊[語]・同義語によって表示されるものを[語は]排除しない.


排除と不排除とをきれいに説明することが意味論においては根幹となるとディグナーガは考えていたのです.
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  1. 2015/11/28(土) 09:42:38|
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