Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

インド思想史学会

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時間があったので,丸太町ではなく,今出川から降りてバス.

百万遍.

キャンパスの中を散歩してから楽友会館へ.

発表者が4人だけということで,今年は開始時間も遅いので,到着には余裕でした.

受付では上田君らが準備中.

会場には既に第一発表者の斉藤さんの姿もありました.

発表は1時半より.

司会は文法学の小川先生.

斉藤さんは原稿が英語なので,発表もそのまま英語.

ポイントが低いので文字が小さく年長者(vrddha)には読みにくいですが,読み上げ速度は遅かったので,英語でも十分に理解可能でした.

マンダナの知覚理論,その背景にあるクマーリラの知覚理論,特に,無分別知覚と有分別知覚について

仏教では,無分別知覚→有分別知覚で,独自相→共通相ですが,ヴェーダーンタは,逆.

最初の無分別知覚が対象とするのは,共通性のほうです.特に,「大有性」とも言われる有性です.

「何か有る」という意識です.

この場合,壺だろうが,布だろうが,「何か有る」という感覚は一緒ということです.

つまり,最初に捉えられるのは,有性です.

その後で,排除がでてきますから,違いが捉えられていきます.

いっぽう,クマーリラによれば,最初の無分別知覚の段階で既に独自相・共通相のいずれも,それと意識はされないものの,認識されているのだそうです.

すなわち,独自相だけ,あるいは,共通相だけ,といういずれでもなく,どっちも把握されている,というのです.

肝心のクマーリラの詩節の解釈ですが,実際には,解釈が分かれる点もあり,歴史的に見ると興味深い問題を多く孕んでいます.

斉藤さんによれば,マンダナのSSにも同じ問題意識が一貫して見られるとのこと.

マンダナの無分別知覚の理論がどこまで広がっていくのが,神学において無分別知覚の役割をどのように捉えるべきなのか,非常に興味深いところです.

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  1. 2015/12/21(月) 20:27:23|
  2. 未分類

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