Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

非存在を取り除くことはできるのか?


非牛の排除が「牛」の意味だとディグナーガは主張します.

しかし,排除されるべき非牛というものの正体は何なのでしょうか?

「Xを排除する」という時,そのXは存在であって非存在ではありえません.

非存在を排除することはできないからです.(空のゴミ箱の中に存在しないゴミを取り除くことはできません.)

したがって,「非牛の排除」とディグナーガが言うときの非牛というのも,アポーハという非存在ではなく,何らかの肯定的な存在でなければなりません.

言葉の意味を扱っている以上,その非牛は,まず個物ではありえません.

また,上で述べたように,アポーハという非存在でもありえません.

すると,結局の所,なんらかの普遍という実在だと認めざるを得なくなります.(もちろん,これは,ディグナーガにとっては困ったことです.)

また,同じ論理で行くと,非牛と言う時の牛も,牛性ということになります.

まず,非牛というのは,牛の排除と置き換えられます.

排除されるべき牛は,上の論理で行くと,個物でもなく非存在でもないので,残る可能性としては牛性だけとなります.

つまり,非の排除における牛も,結局,牛性ということになるのです.

以上をもう少しややこしく述べると,次のようになります.

非牛の排除1という排除1の排除対象である非牛は何らかの実在する普遍となります.

また,非牛,すなわち,牛の排除2という,もう一つの排除2において排除対象となっている牛は,牛性という実在する普遍になるのです.

ディグナーガは,排除という装置を持ち出すことで牛性を回避したつもりでしたが,排除ということを言う限り,肯定的な存在(排除対象)を認めざるを得なくなるのです.

存在しないものを取り除くことはできないという常識にたいして,ディグナーガはどのように答えれば良いのでしょうか?
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  1. 2015/12/30(水) 02:40:28|
  2. 未分類

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