Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

格と行為参与者

以下の記述には若干の問題があります.(以下,赤字強調は筆者による)

小澤 2014:20左:
パーニニ文法の特徴は,文章表現の中心に動詞(具体的には動詞語根が表示する意味)を置き,その文章表現に関わる名詞の「格」を,動詞が表示する行為の実現に関与する要素「行為関与要素」(kāraka)として組織する点にある.



名詞の格=行為参与者

ということは言えません.名詞の格は言葉の世界に属し,行為参与者は意味の世界に属すからです.


小澤 2014:20左:
この「行為関与要素」として定立される語は,実体(dravya)としてではなく,あくまでも文章を構成する要素として理解され,文章表現の主たるもの(pradhāna),「行為」を実現に導く従属的なもの(guṇa)と位置づけられる7



ここでも同じ問題があります.

行為参与者=語

ということは言えません.行為参与者は意味の世界に属し,語は言葉の世界に属すものだからです.

以上の文章における説明では,言葉と意味とが混じって説明されてしまっています.

guṇaに関して小澤氏が付された脚注7については,また別稿にて.




上に続けて,さらに小澤氏は次のように述べています.

この“guṇa” は,実体との関係でいうと「属性」と理解される.サンスクリットの言語観の特徴としては,この属性と基体との関係が重視されている点があげられる.パタンジャリ(Patañjali)は『マハーバーシャ』(Mahābhāṣya)の冒頭で,「ことば(􃶄abda)とは何か」という問いを提出し,実体(dravya),行為(kriyā),性質(guṇa),種(jāti)を例示した上で,それらを退け,最終的に「それが発声されることによって,観念(saṃpratyaya)が生じるもの」という答えを導いている(MBh I, 1.10-12).



しかし,行為vs行為参与者の対立で用いられる主要素vs従属要素というときのpradhāna対guṇaのguṇaと,実体(dravya),行為(kriyā),性質(guṇa),種(jāti)という時のguṇaとは同一視できるようなものではありません.

全く別物です.

簡単に言えば,たとえば「壺を作る」において,壺という行為対象は,作るという行為(主要素)に対して従属要素ですが,しかし,「実体との関係でいうと「属性」として理解される」ようなものではありません.つまり,ヴァイシェーシカで言うような性質ではありません.

小澤氏は,guṇaの異なる二つの用法を混同しています.

1.sādhyaたる主要素(行為)との対立で用いられるsādhanaたる従属要素(行為参与者)

2.実体・性質・運動などという文脈での性質


もちろん,語源的には同じですが,用法として,二つはまず切り離して理解すべきです.

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  1. 2016/06/17(金) 18:31:09|
  2. 未分類

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