Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

kārakaとśakti


次の註記7には若干の問題があります.

小澤 2014:27, n. 7:
行為関与要素の「属性」は後の文法学派では「直接表示機能」(śakti)と説明されるようになる.チャンドラキールティも行為関与要素を直接表示機能と説明する.



小澤氏は,ここでのśaktiを直接表示機能と理解しています.

しかし,ここで問題となっているśaktiは,語の能力である直接表示機能ではなく,例えばデーヴァダッタという実体が持つ,行為を実現する能力のことです.

すなわち,あるものXを行為参与者として捉える時のその側面は,ものそのものではなくて,そのものが持つśakti,すなわち,能力だというのが,行為参与者理論における能力を理解する際のポイントです.

ここでのśaktiは,語の表示機能,直接表示能力としての「直接表示機能」ではありません.

次の二つを区別すべきです.

1.あるものが持つ行為参与者(すなわち行為を実現するもの)としての能力

2.語が持つ能力(=直接表示能力)



小澤氏は続けてチャンドラキールティの原文を引用の後に和訳されています.

確認していきましょう.


小澤 2014:27, n. 7:
[Pras 96.11-97.2, ad. MMK 2.6] atha syāt, yadāyaṃ devadattaḥ *sthitaḥ san bhāṣate paśyati ca*, tadaiko 'nekakriyo dṛṣṭaḥ / evam ekasmin gantari kriyādvayaṃ bhaviṣyati / iti // naivaṃ / śaktir hi kārako na dravyaṃ, kriyābhedāc ca tatsādhanasyāpi śakteḥ siddha eva bhedaḥ/ na hi sthitikriyayā vaktā syāt //
dravyam ekam iti cet / bhavatv evaṃ, na tu dravyaṃ kārakaḥ, kiṃ tarhi śaktiḥ, sā ca bhidyata eva / api ca sadṛśakriyādvayakārakatvaṃ naikadeśikasya dṛṣṭaṃ, ato naikasya gantur gamanadvayaṃ //
〔あるいは,次のような反論が〕あるかもしれない.当のデーヴァダッタがじっとしている時に,語り,見るという場合,その場合には,一人に複数の行為が経験される.そのように,一人の「歩く者」に二つの行為はありえるだろう,と.それはそのようではない.というのは,〔動詞の〕直接表示機能(śakti)は行為関与要素(kāraka)であって,〔デーヴァダッタという〕‘もの’(dravya)ではないからだ.そして,行為が違うのだから,それの行為関与要素をともなう〔動詞の〕直接表示機能にも区別が成立しているにほかならない.というのは,「じっとしている」という行為によって,話者であるのはないから.もし,〔反論者が,じっとしていて,話して見ているデーヴァダッタという〕‘もの’ は一つである〔というならば,〕〔それは〕そのようであろう.だが,‘もの’が行為関与要素なのではない.ではどうかといえば,〔動詞の〕直接表示機能〔が行為関与要素〕なのである.そして,それが〔「話者」や「見者」とでは〕区別されているのにほかならない.さらにまた,類似する二つの直接表示機能の行為関与要素性が,一部分にあることは経験されない.したがって,一人の「歩く者」に二つの「歩くこと」は存在しないのである.




問題となるのは次の箇所です.

サンスクリットと対応させながら見ていきましょう.


śaktir hi kārako na dravyaṃ,
小澤訳:というのは,〔動詞の〕直接表示機能(śakti)は行為関与要素(kāraka)であって,〔デーヴァダッタという〕‘もの’(dravya)ではないからだ.
片岡訳:なぜなら,実体ではなく能力が行為参与者だからである.



ここで,デーヴァダッタという実体は一つですが,じっとしているという行為を実現する行為参与者としての能力1と,語るという行為を実現する行為参与者としての能力2と,見るという行為を実現する行為参与者としての能力3は別である,ということが月称が言わんとすることです.

ここでのśaktiは,直接表示機能ではなく,デーヴァダッタという実体にある,異なる行為を実現する能力のことです.

同じ問題は次の文章からも明らかです.

na tu dravyaṃ kārakaḥ, kiṃ tarhi śaktiḥ,
小澤訳:だが,‘もの’が行為関与要素なのではない.ではどうかといえば,〔動詞の〕直接表示機能〔が行為関与要素〕なのである.
片岡訳:しかし実体は行為参与者ではない.そうではなく能力が[行為参与者である].



ここでも,月称は,行為参与者を,デーヴァダッタという実体にある能力として捉えています.

ここでいう śaktiは,小澤氏が理解したような「〔動詞の〕直接表示機能」ではありえません.

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  1. 2016/06/17(金) 19:15:13|
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