p. 25 「棒」ですが,vartikāやgulikāやmṛdguḍikāから見ると,球状の玉ではないでしょうか.
p. 26, n. 17 細かいことですが, ”avasthāntarato (na*) dravyāntarataḥ” の頭の”ですが, “avasthāntarato (na*) dravyāntarataḥ” というように,“にしてほしいと思います.気になって仕方ないので.(同様の例はp. 43, n, 78)
その下の ’na’ も ‘na’ にしていただけたらと思います. Wordの設定のせいでしょうか.
あと,Word原稿では,よくあることですが,細かいことを言えば,
p. 21, n. 6の ‘nuśayo のアヴァグラハも ’nuśayo というように,向きを直してほしものです.(同様の例は他にも多数ありますが,例えば,p. 31, n. 31.また,p. 44, l. 15のyo ‘yamも.)
p. 26, n. 17 pūrvāparā-pekṣayā > pūrvāparāpekṣayā
もともとの原稿で入れていたハイフンが最終版では不要になったのでしょうか.あるいは,改訂したときにずれたのでしょうか.ともあれ,ハイフンを削除.(同様の例はp.43, n. 78のdravyā-ntarataḥ)
p. 28 「そ[れ自身]の本体をもって」 原語は,tenaivātmanāですので,「同一の」「同じその」くらいでしょうか.「それ自身の」だと,tasyaを想定してしまいかねません.
p. 28, n. 23 取果・与果(phaladānaparigraha) ですが,順番通りを考慮すると, 与果・取果(phaladānapratigrahaṇa) となるでしょうか.さらに,ここの原文では,parigrahaではなくpratigrahaṇaと出ています.
p. 29, その存在要素がそれ自身の本体をもって
原文は sa eva dharmas tenaivātmanā ですから, その同じ存在要素が同一の本体をもって くらいでしょうか.好みの問題かもしれませんが.
p. 30, l. 1 言った] こと > 言った]こと 不要なスペースが入っています.
p. 30 「論法」 原語は, vācoyuktiḥ ですから,「もの言い」「言葉遣い」「言い方」くらいでしょうか.
なお,p. 46, l. 12の原文では vāco yuktiḥ と切り離されていますが,vācoyuktiḥというように,一語としてくっつける必要があります.
p. 30, n. 29 dharmān anyac > dharmān nānyac
p. 31 あなたに提示される 原語はtavopasthitamです.なんと訳すべきなのでしょうか.「提示される」は違うような気がします.原意は「近くに立つ」ですから,「あなたに降りかかってくる」とかでしょうか.
p. 31 従って。>従って、
p. 31 過去のものはある(過ぎ去って『ある』)、未来のものはある(まだ来ずに『ある』と言われたのである > 過去のものもある(過ぎ去って『ある』)、未来のものもある(まだ来ずに『ある』)と言われたのである
原語にapiがあるので追加.さらに,最後の)を追加.
p. 42, l. 14 anāmataṃ > anāgataṃ
p. 42, l. 23 dharmasyādhvasu, の最後のコンマは不要ではないでしょうか?
p. 44, l. 20 krrrtvā > kṛtvā
ṛなどは,昔の入力方式から変換したときに,いかにも間違いが生じそうな箇所です.怖いです.
p. 45, l. 1 yady atītam api dravyato ‘sty anāgatam iti| ですが,「もし過去のものも未来のものも実在するなら、」と訳されていることから分かるように,最後のitiはapiの可能性がないでしょうか.また,最後のダンダは取ったほうがよくないでしょうか.もちろん,ダンダをどう打つかというのは,校訂者の趣味の問題が多分にありますが.また,アヴァグラハの‘ は ’ に変換.