Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

護山真也 2015「仏教認識論と〈所与の神話〉」

p. 43
奇妙な符号>奇妙な符合



p. 45
「勿論,私たちの認識はこの二種に限られるわけではない。両者に含まれない認識として,一群の概念知(確定知niścaya,実体視adhyavasāya,世間的理解lokapratīti)が存在する。」



ここで,護山氏は,知覚と推論に含まれない認識として確定知を挙げています.

しかし,中須賀美幸の一連の研究にも明らかなように,推論は確定知です.

推論は,付託を排除するものであり,確定知そのものです.

また,その次に,あたかも確定知と別なものであるかのように,実体視を挙げています.

しかし,中須賀が論じるように,確定知は,推理と知覚判断の二種に別れます.

したがって,実体視も確定知の一種です.

分別や確定知の分類については,中須賀美幸による一連の研究を参照のこと.

p. 45
それらは,私たちに未知の情報を提供するものではなく



護山氏の言う「それら」は,直前の「一群の概念知(確定知niścaya,実体視adhyavasāya,世間的理解lokapratīti)」を指しています.

しかし,確定知である推論は,付託の排除を本質とするものとして,未知の情報をもたらします.

「確定知niścayaの一種である実体視adhyavasāya」としておけば,問題はなかったように思います.




p. 46で護山氏は,認識プロセスを挙げています.すなわち,

外界対象⇒感覚+自己認識⇒確定知⇒行為発動

というプロセスです.

しかし,中須賀氏の研究からも明らかなように,このプロセスモデルは,概念知モデルの一例に過ぎません.(中須賀美幸「ダルマキールティの知覚判断説と仏教真理論におけるその受容」『哲学』(広島哲学会)67, 71-84, 2015 )

すべてがこうなるわけではありません.

護山氏が描いているのは,知覚判断の例だけになります.

そのことは注意しておく必要があるでしょう.

中須賀 2015: 72
A: 直接知覚→錯誤知→推理→行動
B: 直接知覚→知覚判断→行動
C: 直接知覚→錯誤知→行動→目的実現なし



中須賀の言うBモデルを護山氏は描いていることになります.


護山氏のモデルで「確定知」とあるところは,より正確に,知覚判断に限定しておくべきでしょう.
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  1. 2016/07/08(金) 18:52:24|
  2. 未分類

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