Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

Textの怪しみ方

どうも読めません.

否定辞のnaがいらないのではないか,と思うのですが.

ということで,写本をチェック.

しかし,写本は,どう見ても,naがある読みを持っています.

シャーラダー写本が駄目なら,つぎは,マラヤーラム写本.

しかし,こちらも明らかにnaがあります.

うーむ.

どうやら,刊本の読みは,現行のもので正しそうだ,という見通しが立ちます.

つぎにすべきは,読みを疑うことではなく,この読みを前提にして,なんとか,意味が通る解釈を行うことです.

あれこれと可能性を考えます.

また,前に溯って,ヒントがないか探します.

こういう場合は,往々にして,句読点,つまり,文章の区切り方を変えることで,解釈の抜け道が見えてきます.

複雑なyat ... tatの可能性を,あれこれと考えて,ようやく理解できました.

どうやら,問答の問と答とが,ぽんぽんと切り替わっている,というのが事情でした.

つまり,Aにたいして,つぎBさん.つぎに,さらにAさんの反論.さらにBさんからの回答,といった具合です.

刊本では,その切り替えが反映された改行を行っていません.

したがって,刊本で読むと,一文に見えてしまうわけです.

区切りや,あるいは,区切りを反映した句読点がいかに解釈にとって重要か,ということです.

校訂者の仕事は,単に異読の記録に終わるわけではありません.

テクストを読みやすいように,あるいは,自分の解釈に沿って,読者が理解しやすいように改行,区切ることも,重要な仕事のひとつです.

そのためには,いわずもがなですが,テクストの内容まで理解していなければなりません.
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  1. 2016/08/03(水) 08:21:29|
  2. 未分類

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