Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

錯誤における意官の独立性の否定

きらきら光る真珠母貝を銀と思い込んでしまう錯誤は,なぜ起きるのでしょうか.

ひとつの説明として,意官(心)のせいだ,と考えることができます.

この場合,意官は何でも自分の力で作り出せる,と考えることになります.

たとえば夢の場合を考えてみましょう.

夢の場合,あきらかに,真珠母貝に相当するような「場としての対象」が必要ではありません.

完全に外界がゼロの状態で,あたかも目の前に女性がいるかのように,女性の夢を見せることができます.

意官の非他依存性,独立性です.

意官こそが把握対象を作り出す主体となるのです.




しかし,真珠母貝の例からも分かるように,もしも意官が何でも自由に作り出せると考えるならば,目の前の真珠母貝は不要ということになってしまいます.

つまり,きらきら光る真珠母貝が目の前になくても,意官は自在に銀の映像を作り出すことができることになってしまいます.

しかし,現実には,真珠母貝のようにきらきら光るもの(つまり銀に似たもの)がある時に錯誤は起きるのであって,それ以外の場合には起こりません.

したがって,意官は,類似性に刺激を受けて覚醒してくる潜在印象に何らかの仕方で依存していると考えるのが正しいということになります.

夢の場合も,意官は,対象映像を自在に作り出しているわけではなく,過去に経験したものを想起しているだけです.

ここでも潜在印象(過去の記憶)に依存していると考えるのが正しいのです.

つまり,夢の認識において,意官は,過去の直接経験とその潜在印象(記憶)に依存しているのであって,独立自在の,非他依存的なものではありません.
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  1. 2016/08/23(火) 19:51:25|
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