Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

文意理解の原因は何か?

「牛を連れてこい」などの文を聞くと,牛の連行という,牛に限定された連行という〈限定された意味〉の理解が聞き手に生じてきます.

この限定された意味,すなわち,文意の理解の直接的な原因は,何なのでしょうか.

バッタ派は,諸語意が直接の原因だと考えます.

すなわち,

単語a, b, c→語意A, B, C, →A-B-C

というように,各単語から理解された諸語意の間の連関が理解されるようになると説きます.

いわゆる,表示された語意間の連関,という考え方です.

つまり,文意理解の直接の原因は語意になります.

いっぽう,プラバーカラ派は,あくまでも言葉に文意理解の能力を認めようとします.

つまり,

言葉→文意

というモデルを守ろうとします.

また,バルトリハリとは違って,文を無部分とは考えません.

あくまでも有部分と考えます.

しかしながら,有部分の文が文意を伝えると言うのです.

(a, b, c)→A-B-C

いずれの単語も,既に連関した意味を伝えます.

いわゆる,他と既に連関済みのものを各語が表示する,という考え方です.

「牛を」というのも,「Xと連関した牛」を表示するのであって,単なる牛を表示するわけではありません.

というのも,語意学習の際には,語は必ず他と連関した意味をもったものとして学ばれたからです.

同じように「連れてこい」も「Yと連関した連行」を表示します.

「牛」という語にとって,牛は,表示対象ではなく,表示対象であるべき〈連関した意味〉(つまりXと連関した牛)を表示するためのきっかけ(nimitta)に過ぎません.
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  1. 2016/11/10(木) 15:33:01|
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