Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

龍樹「山は髪の毛のようだ」

渡辺慧による「みにくいアヒルの子の定理」による厳密な証明をまたずとも,直観的に,いかなるA,B,Cについても,AとBとが似ているのと同じくらい,BとCとが似ていると言えること,つまり,「似ている」という判断が主観的であり,恣意的であること,比喩というものが客観的に成り立つものではなく,主観的に重要な特徴を取り出しそこに比重を置くことで初めて成り立つものであることが分かります.

ナーガールジュナ作とされる『ヴァイダリヤ論』は,ニヤーヤの挙げる項目である「喩例」を批判するにあたって,次のように指摘します.

また,「部分的に同類であるから(喩例と)なるのだ」と言うとしても,そうではない.山と髪とのばあいのように.

それに対して,「(AはBと)部分的に同類であることによって(Bの)喩例である,とこういうことになるであろう」と言うとしても,そうではない.どうしてかというと,この世間では山と髪の毛とでさえも,存在性,単一性,有形性(など)の点で部分的に同類であるから(すべてのものは他の全てのものの喩例となってしまうから)である.(梶山雄一訳, p. 213, 『龍樹論集』)



世間的には全く似ているとされることのない山と髪の毛でさえ,様々な同質の特徴を取り出せば「似ている」と言うことはできます.

したがって,同質性をもって「似ている」と言う際の喩例というものは,客観的には成り立たないというのが作者の意図するところです.

以上から,「山には火がある.煙を持つから.竈のように」という論証において,「山≒竈」と見なす比喩は成り立たない,ということになります.

「ああいえばこういう」式の「言い返し」などを用いて論証の揚げ足を取るのが得意な龍樹から見れば,音声は,無常な壺と似ているのと同じくらい,常住な虚空と似ていると言えるでしょう.
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  1. 2016/12/13(火) 05:42:32|
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