佐保田鶴治の『ヨーガ根本教典』には『ヨーガスートラ』と『ハタヨーガプラディーピカー』の和訳が収録されています.
訳語もこなれており,一般読者が日本語で読むのに至極便利です.
しかし,こうした研究があるのも,さらにそれに先行する研究の積み重ねがあればこそです.
研究者一人で何も無いところから読みやすい和訳ができるわけではありません.
自分の目に見える結果だけを性急に求めるのは間違いです.
テクスト研究には,まず,写本蒐集という作業が必要です.(例えば写本調査に関するG. ビューラーの報告が参考になります.)
それらは,現在,インド各地の大学・図書館・研究所に保存されています.また,イギリスなどの海外の図書館にもあります.
誰かが何かを集めようと思ったから蒐集されたわけで,勝手に写本が集まってきたわけではありません.
あるいは,「家にあったから」という理由で売却・寄付され,労少なくして写本が集まってくる場合も,図書館側には,インド各地の文字で書かれた写本の奥書を読んで,カタログを作るという厄介な作業が必要となります.
そうして蒐集・整理された写本に基づいて,テクスト校訂が可能となります.(また,校訂者となる個人が各地の図書館を回って写本の複写を取得するに際しては,旅費・複写費など,それ相応の費用と時間とエネルギーとが必要となります.)
次に,出版されたエディションに基づいて,学術的に堅めの,専門家向けの翻訳や訳注研究が作られます.
英訳・独訳・仏訳などです。
ヨーガに関しても事情は同じです.
写本蒐集→テクスト校訂→専門家向けの訳注→読みやすい和訳
写本蒐集を更に溯れば,写本を書き写すという学問伝統保存の営為があったことも忘れてはなりません.
紙,貝葉,樺皮は決して安価ではなかったはずです.
テクストを書き写すというのは,財とエネルギーと時間を必要とする作業です.
また,教え教えられという知の伝承がそこに生きていたからこそ,そのテクストが選び取られ,書き残されたのです.
一般書として意識していたこともあるのでしょう,底本としたサンスクリット本のエディション情報や,参照した先行諸訳について,佐保田は(少なくとも私の持っている版では)書き残していません.
下流にいて,出版本やPDFコピーで楽に結果を享受している我々は,そのテクストがここに至った経緯に,時に,思いをはせる必要があります.
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- 2017/01/01(日) 11:56:39|
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