Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

悟った状態で説法できるのか?

仏陀が悟った状態で,つまり,無分別知覚の状態で説法できるのか,という問題は,ミーマーンサー学者クマーリラの『ブリハットティーカー』に議論され,批判されています.それを受けてシャーンタラクシタも議論・反論しています.

昔の日本人も,別の文脈で,つまり,大日如来が法身で果たして説法できるのかどうか,というコンテクストで盛んに議論していたとのこと.

渡辺 新治 1998「自証説法について(II)」
『智山学報』61, 127-141


みんな,悩みどころは同じです.

言語を離れた悟りと,言語を用いた説法のギャップは,仏教の教理的弱点のひとつでしょう.

大日如来に不可能はないはずなので,「法身で説く」と言い切った方が潔いですが,それを言ってしまっては,理屈をこね回す教理家の仕事がなくなってしまいます.
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  1. 2017/01/10(火) 19:13:16|
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