Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

もしも一切智者だったなら

不浄な汚い汁までダイレクトに感じることになってしまう,とクマーリラは批判します.

一切智者とは「全てを知る人」のことです.

全ては,まさしく全てですから,ダルマとアダルマという宗教的真理だけでなく,髪の毛,体毛,ガンガーの岸の砂の数など,いろんなもの「全て」を含みます.

当然,その中には「不浄な液体」も含まれます.

しかも,一切智者は,それら全てをダイレクトに知覚で知るわけですから,不浄な汁・液体を直証・直覚するわけです.

すると,膿や尿,経血,さらには酒といった,その当時のインド宗教界で不浄とされていた液体まで,ダイレクトに感じていることになってしまいます.

そういう趣味の人や健康のために飲尿している人ならともかく,世尊と呼ばれる人,その方が,尿を直接に味わっているということになってしまうのです.また酒をダイレクトに味わっていることになってしまうのです.

誰がそんな一切智者を想定するだろうか,とクマーリラは指摘しています.

全てを知る,というときの全ては,いいことばかりではない,ということです.

これを膨らませれば,当然,一切智者は,全てを直接に知る(いわば「ダイレクトに見る」)ことになりますから,覗きもしてることになるので,現代なら軽犯罪法で捕まるでしょう.また,火事や虐待など,各種の通報・通告義務も果たさねばなりませんから,結構いそがしくなります.

現代日本だと,全知者になっても悩みは絶えないでしょう.

もちろん,後8世紀の仏教学僧シャーンタラクシタは,クマーリラの批判に対する答えも用意しています.
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  1. 2017/01/13(金) 07:04:28|
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