Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

तेन > ते न

前後趣旨が通じないので,あーでもないこーでもない.

10分経って,ようやく,तेनではなくते नであることに気がついて問題解決.

よくある引っかけですが,तेनと一語で印刷してあると,やはり,引っかかってしまいます.

写本で最初から隙間が無ければ,いずれの可能性も考えるというものですが,刊本だと,ついつい,刊本にある通りに読んでしまいます.で,तेनしか念頭になかったので,手間取りました.

前後趣旨が通じないので,最初は,あれこれと工夫しながら,否定辞がどこかに隠れてないかなど,様々な可能性を考えていましたが,結局,否定辞をアクロバティックに補う必要もなく解決して良かったです.

この箇所は,註釈もなく,ノーヒントですから,難しい.

少なくとも,刊本のエディターは,意味を正しく理解してなかったということでしょう.

ちなみに,その少し前の箇所では,否定辞が余計に入ってました.

こちらは,註釈では明らかに無いので,単なる誤植として否定辞を削除.

ゲシュタルト的な全体論者であるバルトリハリは,単語や意義素というのは,後付けで抽出されたもので,本当にあるのは文というひとまとまりの無部分の全体だとしましたが,以上のような経験を鑑みると,確かにその通りです.

同じ音でも,全体が分かって初めて,有意に分割することが可能です.

ひと連なりの音をどこで区切るか,その区切りは決して自明ではありません.

tenaのように同じ音でも,分け方は異なりうるのです.

文意理解は,部分(語意)を足していって全体(文意)が構成される,というような単純なものではないということです.

サンスクリット,中でも,韻を踏んで書かれた詩文の場合には,全体の閃き(プラティバー)が先行するというのを実感する瞬間がしばしばあります.

馴染みのある内容が書かれている場合,最初のキーワード一語を見た瞬間に,全体の意味は分かっています.

あとは,それを確認するだけの作業ということも,よくあります.

最初に分かって,あとは,その確信を強めていく段階です.

宝石鑑定士の比喩と同様です.

全体の理解が違うと部分の捉え方も違ってくる,なにか,パラダイムの転換と似たところがあります.
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  1. 2017/01/20(金) 00:13:12|
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