Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

すべての認識は言葉を本質とする

文法学者バルトリハリから見れば,この世界は言葉を本質とするものに他なりません.

言葉が貫通してないものはありません.

表示者と表示対象は一体であり,全てに言葉が行き渡っており,言葉こそがこの一切の本質です.

我々の認識も全て,言葉から成っており,言葉を本質としています.

我々の認識が持っている「言葉を本質とすること」という本性を離れては,認識ということそれ自体がありえないのです.

このような本性を離れては,認識という光それ自体が光り輝かなくなってしまいます.

言葉を本質とすること,それは,言い換えれば,有分別,つまり,言語的な反省知を含んでいるということです.

言葉を本質とすること――認識が持つ永遠のもの――それがもしも[言葉から]去って行くならば,輝きは輝かなくなるだろう.それ(言葉を本質とすること)は,言語的反省を有するからである.

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  1. 2017/01/24(火) 07:46:08|
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