Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

マンダナの難しさの正体

マンダナのテクストは,読むと確かに難しい.

なぜ,こんなに難しく感じるのでしょうか?

ブラフマシッディの別非別論批判,参加したアーンジャネーヤシャルマー師も,「テリブルテリブル」と連呼.

難しい,との感想でした.

インドだと,このあたりを読んでいる人はほとんどいないので,当然です.

インドの場合,基本,「教えを受けずに読んではいけない」という決まりがあるので,習ったことのないものは読みません.

つまり,先生が読まない物は習うこともない.

というわけで,基本,読む文献の幅は,どんどん狭くなっていき,いっぽうで,読まれるテクストについては,みんなが読む,つまり,教科書化していき,いくつも注釈書が作られるということになります.

多くのマイナーなカーヴィヤが消えていき,偉大なカーリダーサだけにエネルギーが集中,というのも,そういう背景があります.

たまに,わずかな写本から,後代の物好きが伝統復興ということがありますが,基本,多くの人が狭いコーパスの中で活動をしているというのが実情です.

とくに,インドの場合は,仏教関係が絡むと弱いので,マンダナなど,ダルマキールティを前提とした昔のテクストに対しては,読解に困難を伴うようです.

13世紀以降の文献では,仏教はリアルな論敵としては消えているので扱いやすいのですが,古くなるとそうはいきません.

マンダナの場合,すぐ直前にダルマキールティがいます.

さらに,プラバーカラやクマーリラも.

大物三人がいますから,難しくなるのも当然です.

さらにややこしいことに,マンダナは,それぞれの理論を,自らが批判する前に,自分なりに発展させてます.

つまり,それぞれの説を,自分なりに消化して,さらに,推し進めていることがあります.

プラバーカラに関しては明らかにそうです.

つまり,プラバーカラについては,ソースにはないのに,プラバーカラ派の説としてさらに発展したものがマンダナに見られます.

つまり,マンダナ自身が,プラバーカラ派の一人として,説を発展させているわけです.

で,もちろん,最終的にはそれを批判します.

わざわざ敵を育てて,最終的にそれをも打ち倒すというような感じです.

つまり,敵や味方というよりは,学説のそれぞれを楽しんでいるというほうが近いでしょう.

それぞれの見方で,それぞれに深化させていくという行き方です.

各学説の発展形を知らないと議論についていけないので,内容が難しくなるのも当然です.

さらに,マンダナのスタイルでは,前主張と後主張とが頻繁に交替します.

もちろん,入れ替わりのマーカーはありますが,時には,前後をちゃんと追っていないと見逃すこともあります.

そうすると,誰が喋っているのか,状況を把握できないということになります.

幸い,ブラフマシッディはエディションがしっかりしているので,読みに関しても,また,句読点に関しても,クップスワーミーシャーストリーが実に入念に手を入れてくれています.

細かいサインを見逃さなければ,追えるようになっています.

また,注釈類も整備されているので,困難が生じても解決できるようになっています.

さらなる困難は,マンダナが,場合分けの選択肢を多用するということです.

可能性を分けて,そのいちいちを否定していくという,ナーガールジュナなどにも見られる手法です.

可能なモデルを列挙しているだけですから,そのそれぞれについて,読み手が実感しながら筋を追うというのが難しくなります.

というのも,読み手においては,Aという学説にシンパシーを感じていても,それとは逆のBにシンパシーを感じていない場合,それに身を寄せて理解することが困難になるからです.
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  1. 2017/02/16(木) 14:39:03|
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