Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

sākāraの二義

sākāra(有行相・有形象)といっても,次の二義を区別する必要があります.

1. samānākāravat(同じアーカーラを有するもの)
2. ākārasahita(アーカーラを伴ったもの)


アビダルマで問題となる有行相は,複数の心・心所が,所縁を把握する際に或る行相を共有する事態を指しています.ここでは,saは,samānaの意味です.つまり,等しい,同じ,という意味です.だから,平等という意味が出てくるのです.

いっぽう,後代の形象論で問題となる場合の「有形象」とは,認識が内に形象を持つことです.この場合のsaは,sahitaの意味です.ここに共有の意味は出てきません.samānaではなくsahitaで解釈しているからです.

この二義はサンスクリットでは,はっきりと区別されます.

表面上はsākāraとして同じですが,意味は異なります.漢訳脳で考えると,どちらも「有行相」となってしまうでしょうが,意味は異なるので注意が必要です.

説一切有部の認識論は有形象認識論か無形象認識論か,という問題を論じる際には,まず,このsākāraの二義に注意を払った上で議論を進めるべきでしょう.でないと,無用な混乱が起きることになります.

結論から言えば,相応する心・心所について,1は認めます.その意味で有行相です.つまり,行相を共有します.

しかし,認識一般について,2を認めているわけではありません.つまり,認識一般について,いわゆる「有形象」(アーカーラを内に有している)と認めているわけではありません.

しかし,有形象認識論への萌芽が既に有部説に見られるのも確かです.ミーマーンサーやニヤーヤのような無形象認識論を考えていたかといえば,単純にそうだとはいえません.

それについては,論題の文脈,歴史的発展を整理して論じ直す必要があるでしょう.
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  1. 2017/03/01(水) 08:10:43|
  2. 未分類

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