Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

JNA 391.2

JNA 391.2: sāpy ekā pratyakṣānumānayor nanu//

護山 2011: 69: (否定根拠となる)知覚と推理の両者にも、同じそれ(=否定)があるのではないか。

片岡: それ(打ち消し)も,知覚と推理のいずれかではないのか.

後続する議論から見ても,打ち消しが知覚である場合と推論である場合とを考えていますから,単なる場合分けの選言の宣言とみるのがいいでしょう.護山解釈では,ekāの必要性が浮いてしまいます.護山解釈が求める意味ならば,ekāがなく,sā [bādhā]だけで十分です.つまり,sā pratyakṣānumānayor api という文が,護山解釈が求める意味を十分に表すはずです.

あるいは,護山が恐らく苦心したように, sā^ekāで「同じそれ」というように,あたかもsā^evaと同様に,解釈しなければならなくなります.また,護山解釈では,apiが,別の箇所につくことになります.ekāの原義を活かすならば,やはり,「両者のうちのいずれかひとつ」というのが穏当でしょう.
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  1. 2017/03/18(土) 08:10:10|
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