Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

虚構された青が輝き出しを自体としていることという同体性もまた虚構されたものである

青などの輝き出し.

つまり,青などが現に輝き出しています.

ここから言えるのは,青が輝き出しを体としているということ,すなわち,同体性です.

青は輝き出しから別体ではありません.

別体であれば青などは輝き出し得ないからです.

同体であるものだけが輝き出し得ます.

と聞くと,では,青などと輝き出しは完全に同体なので,形象虚偽論における形象の虚偽性と,輝き出しの真実性とは,どう処理するのか,という疑問が生じてきます.

ここからが形象真実論と形象虚偽論の分かれ目となります.

すなわち,形象虚偽論においては,同体性すらも虚構されたものでしかありません.

青などは虚構されたものであり,いっぽう,輝き出しは虚構されていない実在です.

このようにして,虚構物性と非虚構物性とが同一認識の上に同居することが無矛盾で処理できる,というのが形象虚偽論の肝です.

ジュニャーナシュリーミトラの書き方だと,ラトナーカラシャーンティの最後の最後の肝である同体性の虚構性が明示的に示されておらず,既知なるものであるかのようにうっすらと触れられ,そして,出発点を隠したまま,議論が為されているので,読者は,おそらく何のことだか分からないでしょう.(要するに,不案内な読者に分かるような書き方はしていない,ということです.)

PPUを読まずに,SSSだけを読んで,この背景を理解しろ,というほうが無理というものです.

コーヒー屋でグレッグがあれこれと彼独自の理解を喋ってくれましたが,どうも,このあたりを完全に取り損なっている様子でした.

ここさえクリアーしてしまえば,形象虚偽論と形象真実論の違いについて大きく外すことはないでしょう.

チベット訳だけで分かれ,というのも,かなり難しいような気がします.

チベットに基づく先行研究は,どれほど理解していたのでしょうか? 要確認.



護山2011は,正確です.

護山真也 2011: 473, n. 5): 「ただし,形象虚偽論の立場からは,この同一性とは「虚偽の同一性」とも呼ばれるものであり,形象真実論のように,形象と認識とが完全に同一であることを述べているわけではない.」



先行研究に護山氏自身の台湾での発表しか挙げてませんから,この点に関して,代表的な先行研究はないのかもしれません.
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  1. 2017/03/25(土) 20:37:13|
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