Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

護山真也2011「ラトナーカラシャーンティのプラマーナ論」を読んで

MAVのサンスクリットがないのが非常に残念です.

護山 2011は,冒頭から

「間違った構想作用」(abhūtaparikalpa)

と,間違ってしまっています.タトプルシャで解釈して「非実在を構想する作用」とでも表現しておくべきでした.

tādātmyaとtadutpattiで自己認識と推論とを振り分けるというラトナーカラシャーンティの見方は,面白い見方です.

護山 2011: 474: 「「欺きのないこと」を同一性・因果性いずれかの結合関係として定義し,自己認識と推理のそれぞれに振り分けていること」



護山氏は,それ以上論じていませんが,私が思うに,つまりは,独自相を直接に知る知覚と,独自相を間接的に知る推理というような二項対立でラトナーカラシャーンティは考えていることになるでしょう.(同一視・実体視であるadhyavasāyaが結果的にOKなのはこのtadutpattiがあるおかげです.)

共通相-----------------推理
 |tadutpatti
独自相1----------------知覚
       tādātmya

ここで言う独自相というのは,白という現れのことであって,外界対象ではありません.

だから,「それを本体とする」つまり「プラカーシャを本体とする」のです.同体です.

この独自相に因果関係を通じて拘束されているものが共通相です.

この時,推理は「山に火1がないわけではない」という仕方(ayogavyavaccheda,結合の無の排除)で,独自相に関する新たな情報を伝えてくれます.

推理がもつ確定niścayaの働きというのは,samāropavyavacchedaですから,この場合は,「山に火1がない」という誤った考えを排除してくれます.そして,知覚判断や正しい想起(いずれも欺くことがない)とは違って,この情報は新規だと考えているようです.

とすると,知覚判断が持つsamāropavivekaについては既知情報に関わるということになるのでしょうか.恐らくそうでしょう.(青でないことはない,ということは,既に新得経験の知覚の段階で分かっていることでしょう.)

ここらへんは,中須賀さんに聞いてみないといけません.

ただし,以前から思っていましたが,samāropavyavacchedaに対してsamāropavivekaとあるので,いずれも行為を指しているとするのが自然なので,付託の排除,に対して,付託の識別,というのを意味するのがvivekaだと思われます.中須賀さんは,欠如,という意味を考えていますが,その欠如,すなわち,無の再確認,という意味で,ダルマキールティは,vivekaという語を用いているのではないでしょうか.vivekaを欠如とすると,samāropavyavacchedaのほうが付託の排除という行為で,samāropavivekaのほうは付託の欠如ということになり,バランスを欠いてしまいます.私としては,以下のように整理したいところです.

1.推論の働きsamāropavyavaccheda付託の排除
        「火が無いことはない」(未知)

2.知覚判断の働きsamāropaviveka付託の識別(=付託の無の再確認)
        「青でないことはない」(先行知覚により既知)




tadutpattiの例である火と煙の因果関係からも分かるように,通常,プラマーナ論は,外界対象の存在を前提としています.

したがって,外界対象の存在を認めない唯識の場合,通常の意味での客観的な因果関係を,認識の現れという独自相間の関係に置き換えて考えないといけなくなります.

つまり,独自相としての現れの間の関係によって,プラマーナ論を再構築し直す必要が生じてきます.

全体として,「唯識目線から見た世俗プラマーナの再構築」ということがラトナーカラシャーンティの念頭にあるのでしょう.
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  1. 2017/03/29(水) 19:44:04|
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