Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

片岡真実「チャーミングな旅――顕微鏡と望遠鏡と絵画」


片岡真実 2017: 「チャーミングな旅――顕微鏡と望遠鏡と絵画」,In: 『N・S・ハルシャ展:チャーミングな旅』カタログ,pp. 14-25.

洋の東西・古今を問わず,あれこれと参照しなければならないので,美術関係の方も大変だなと思いながらも,インド関係については,やはり,細かいところが気になってしまいます.

きっと参照文献も日本語では充実してないので苦労されたことでしょう.

しかも,北インドならともかくも,南インド,マイソール(マイスール)ともなると,ぐぐっと日本語での情報量は減ってしまいます.

英語文献を参照するしかないでしょうが,日本人向けの解説では,やはり,一般に購入可能な本ということになるのでしょうか.

と,あれこれと同情を禁じ得ません.

片岡 2017の参照文献リストを見てみると,インド関係では,

立川武蔵他『ヒンドゥーの神々』せりか書房,1980年
『岩波講座 東洋思想 第七巻 インド思想』, 1989年

の二書――インド関係となると結構古い本しかないということです――があげられており,後者からは,

服部正明「I インド思想史(三)」
竹中智泰「2護の表示対象――個物と普遍」

の論文が引かれています.(選書は,なかなか良いチョイスです.)

竹中先生も,まさか,自身のヴァイシェーシカ論文がこんなところで引用されるとは予想しなかったことでしょう.


さて,片岡氏の解説冒頭のp. 14左に次の記述.

片岡 2017:14左:楕円形で描かれた全宇宙(ブラーフマン)の内部には……



いきなりブラーフマン.なぜ長音。

ブラフマンなら分かりますが.

ひょっとしてアクセント記号のあるbráhmanを見て,長音だと思われたのでしょうか?

ヴェーディストでしょうか.

仮説1:bráhman→全宇宙(ブラーフマン)

間違いの元が非常に気になります.

そして楕円形とくれば,やはり,本来言うべきは「ブラフマーンダ」brahmāṇḍaではないでしょうか.実際,同じ絵を掲げる同カタログp. 226の足澤さんの解説では,「梵卵(宇宙の卵=世界そのもの)」と記されています.

ブラフマンの卵,いわゆる,宇宙卵.

ひょっとすると,私的な会話でブラフマーンダという音を聞いて,それが既に氏の頭の中にあったブラフマン,梵,および,どこかの解説にあったブラーフマナbrāhmaṇaやブラーフマンbrahman(いわゆる婆羅門)と結び付いて,「全宇宙(ブラーフマン)」という出力となったのかもしれません.

仮説2:brahmāṇḍa→全宇宙(ブラーフマン)
仮説3:brāhmaṇa→全宇宙(ブラーフマン)
仮説4:両者の混合→全宇宙(ブラーフマン)

ちなみに,氏による表記が,一過性の誤植や誤記ではなく,氏の頭の中にあったことは,同表現が次のように繰り返されることからも確認可能です.

片岡 2017:22左:同時にアートマン(我)としての自己とブラーフマン(梵)としての宇宙全体を往来する……



私的な会話でインド人から聞く場合には,梵天であれば「ブラフマー」「ブフマ」ぐらいの発音でしょうから,「ブーフマン」というような音に聞こえることはないはずです.

とすると,やはり,ブフマーンダという音を聞いて,そこから,これまでの氏の知識と結び付けて,「ブラーフマン」というのが出てきたという推定が正しいように思います.

あるいは,英語的発音のブラーマンから,綴りを考慮してブラーフマンとなったのかもしれません.

仮説5:brahman→ブラーマン→ブラーフマン

はたして真実は如何.


p. 22左では「視線(gaze)」という英語の単語を取り上げていますが,やはり,インドで「見る」「眼差し」とくれば,ダルシャナdarśana(見ること)という単語を取り上げて,その深みや広がりを論じるべきではなかったかと思います.

少なくともハルシャ氏の世界観の中で,英語的な意味の広がりよりも,ダルシャナという語の意味世界の広がりのほうが遙かに重要だと思われるからです.

続いて,「タマシャ」についての解説があります.(なお,私なら「タマーシャー」と表記します.)

片岡 2017:22左:ハルシャがベルリン滞在時に制作した立体作品《タマシャ》(2013)の猿たちも同様だ。タマシャとはヒンディー語で、何らかの騒動や胸騒ぎ,せわしなさを表現する言葉だそうだ。



ここでも,ダルシャナ(見ること)からの連関で,まさに「見物(みもの))」という単語で説明が可能だったのではないでしょうか.

ちなみに,tamāśāは,ミーナークシーの辞書だと

1. show, display
2. fun

と出てきます.マックレーガーでも,似たような感じで

1. show, spectacle
2. amusement; fun; joke
.....

などと出ています.つまり,日本語で「こりゃー,みものだ」と言う時の「みもの」です.

マックレーガーは親切に,

A. tamāśī
P. tamāśā

とつけてくれていますから,アラビア,ペルシア起源であることが分かります.

騒動を指さして「こりゃー,みものだ」「なにがはじまるのか」「ちょっと見てみようぜ」というニュアンスです.

そういう意味で,おそらく,私的な会話では「騒動」turmoilという単語が使われたのではないかと推定します.

ちなみに,対応する英語版p. 36leftでは,

In Hindi, tamasha refers to a state of restless unease or turmoil.


と表現されています.

いずれにしても,片岡氏の言う「胸騒ぎ」や「せわしなさ」では,「タマーシャー」の本来の語感からは,少しずれた方向に行ってしまっています.

猿が「みもの」を指さしている,そこに,興味・笑い・嘲笑など,ないまぜになった冷めた視線の皮肉も生じてきます.「騒動」ならまだいいですが,「せわしなさ」「むなさわぎ」だと,タイトルが本来持つニュアンスからずれてしまっています.

ローカルなインド世界に息づく普遍性を取り出すにあたって,インド人自身の世界観を無視して,いきなりグローバルな英語知識世界から切り込まざるをえないという日本語文献世界の知的貧困さも,また現代日本を表すひとつの滑稽な「タマーシャー」です.

もっとも,ヒンディー語世界も,インドでは,一種のグローバルな世界なわけで,さらに深く論じるには,ハルシャ氏の母語カンナダ語の世界についてもよくよく知らないといけません.ごくごく単純化すると,

カンナダ<ヒンディー<英語

というような構造も念頭に置いておかないといけないということです.(もちろん,そのような階層・上下構造を抜きにして,同時併行的に水平に論じるのならば,なおさら,カンナダ世界に通じることは必要でしょう.)

ハルシャ氏は,はたして,カンナダ語では,どのような単語を思い浮かべていたのでしょうか?

さらに深く追求するならば,インド人自身が普遍を語りうる豊富な語彙を備えているというその背景にある,アラビア,ペルシア,サンスクリットの語意世界についても注意と敬意を払う必要があるでしょう.

特に,親サンスクリット的な現代カンナダ文化圏においては,なおさらでしょう.




展示の一部に,ハルシャ氏の背景を知るためのインド知識篇として,マイスールなどに関する解説コーナーが設けられていました,監修は,プーナに長くいらっしゃった足澤さんでした.
スポンサーサイト
  1. 2017/04/23(日) 08:44:40|
  2. 未分類

プロフィール

Aghora

Author:Aghora

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する