Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

ミーマーンサー研究の難しさ

既存のサンスクリットテキストを正しく解釈するだけでも、かなりの修行年数がかかりますが、さらにその上に、既存のテキストを疑ってかからないといけないというのがインド哲学文献の難しいところ。

そして、その疑いを確証、論証に変えるためには、何年もかかって写本も集めないというのがさらなる困難。

何年あっても足りません。

クマーリラのシュローカヴァールティカ、ドワーリカダーサの便利な普及版を信用すると痛い目に会います。

あちらこちらに落とし穴があるので、どこを読む時も、マドラス版との校合は欠かせませんし、さらに、理想的には、写本と合わせないと正解を導くのはむずかしいでしょう。

最も有名なテキストすらこの状況です。

他については言わずもがな。

博士レベルでデビューしたてだと、まだ、写本経験も校訂経験も浅いでしょうから、ミーマーンサーで論文を書くのはたいへんです。

また、往々にして、認識論の議論の背景になる知識が、タルカパーダ以外の祭事哲学部分にあったりします。

認識論だけで済まなくなるのが聖典解釈学ミーマーンサーの奥深さ、泥沼の怖さであり、面白さです。

ミーマーンサーの言語哲学議論は、認識論に留まらず、背景となる解釈学の議論もカヴァーしないと足元を掬われます。

バルトリハリの哲学を理解するのに文法学の知識が前提となるように、クマーリラの哲学を理解するには聖典解釈学の知識が欠かせません。

つまるところ、クマーリラをやろうとすると、写本から祭事哲学まで、幅広く押さえないと、論が浅くなるということです。単なるプラマーナ論だけでは済まないのです。

文法学の場合,インドでの伝統も分厚く残り,欧米諸語での研究もあるので信頼できる二次文献も多くありますが,ミーマーンサーの場合はインドでの伝統は僅か,欧米諸語での研究も本当に数えるほどしかありません。

したがって,いきなり素手で断崖を登れというような無茶をさせられることになるわけです。
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  1. 2017/05/24(水) 18:51:05|
  2. 未分類

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