Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

異読×多義



著者の言葉遣いを正確に把握しようとすると,やはり,先行する用例を調べるというのが最も手堅い方法となります.

少し疑問のある(あるいは意味の振れのある)用法が出てきたとき,類似の用例を同じ著者の作品の中に見出すか,彼が参照している先行文献の中に見出すか,それを探し出す作業が必要になります.

要するに,ざっと検索することが必要です.

皆で読んでいると,少し怪しい語が出てくると,十人十色,色々な意見が噴出することになります.

皆を納得させるには,用例をぽんと示すのが一番手っ取り早い方法です.

自分の中では,もちろん,経験で分かってはいても,用例という証拠を出さないと,なかなか人は納得してくれません.

自明なことを人に説明するのは面倒ですが,それが知を共有する,ということなのでしょう.

ひとに示すことで,自分自身にとっても,語意の輪郭がより明瞭になります.

それにしても,異読の可能性という変数Xを考慮しながら,なおかつ,ある語の意味Yについても模索するという場合,変項がXとYの二つになり,考えられる可能性が爆発的に増えるので,思考の作業としては,かなり面倒です.

出来合いのテクストならば,Yから出発すればいいのですが,そうはいかないのが,我々の分野です.

ああでもないこうでもないとXとYとについて議論しながらぼちぼち進むというのも,面白いものです.

インド哲学がどうしても古典文献学にならざるをえないというのは,この変数XとYとの両方を考慮しなければ精確な意味・正解が導けない,ということに起因します.

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  1. 2017/06/02(金) 13:52:27|
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