Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

異読からの読みの採り方

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今回は,少し系統のずれる二写本を参照.

したがって,ところどころ,悩む箇所が出てきます.

そういう場合に,やはり,どちらを採用するか,或る一定の基準が必要となります.

単純に「良い読み」を取ればよいと思いがちですが,「良い」の意味が「読みやすい」という意味ならばアウトです.

読みにくい読みが分かりやすい読みにスクライブにより変えられている場合があるからです.

どちらを選ぶか,という視点ではなく,どうしてこの二つの読みが出てきたのか,ということを考えることが最も肝要です.

その二つの読みの発展,展開を説明できるような仮説を立てることで,どちらがよりオリジナルか,古い読みか,判断できます.

もちろん,読みにくいといっても,完全に解釈不能な読めないもの,不可能なものは採用できません.

意味を為すという前提に立った上で,読みにくい或いは読みやすいという意味です.

さて,

X-apekṣayā
X-vivakṣāyām

という読みが出てきました.

Xに比して,という意味が期待されるところです.

似た文脈では,確かに,別の箇所を見ると,vivakṣāが使われているので,それでもよいような気がします.

しかし,vivakṣāの場合,期待される意味と微妙にずれてしまいます.

X-vivakṣāyāmだと,Xに比して,という意味ではなく,Xを言わんとする場合には,という意味になってしまいます.

あくまでも,意味としては,X-apekṣayāが求められています.

この両者を説明する一つの可能性が

X-vyapekṣayā

という想定された読みです.(そして,別の著者には,このような用例が見つかります.)

これだと,いっぽうがX-apekṣayāになり,いっぽうがX-vivakṣāyāmへと展開したいったことを説明できます.

X-apekṣayāから一足飛びにX-vivakṣāyāmが展開することも考えにくいですし,また,逆もしかりです.

どちらが良いか,という視点で写本に臨むと,他方を単純に切り捨てることになってしまいます.

そうではなく,どうして二つが出てきたのか,両者を説明するモデルが必要です.

その上で,古い読みを採用するわけです.

頭の良いパンディットほど,遠慮無く書き換えたり付け加えたりすることがありますから,要注意です.

また,誤写が多く,一見すると頭の悪そうな写本でも,オリジナル復元のヒントが隠されていることが多々あります.

単純にどちらがいい,という話ではないのです.
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  1. 2017/06/06(火) 20:48:32|
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