Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

turagārūḍhas turaṃgaṃ vismṛto bhavān

turagārūḍhas turaṃgaṃ vismṛto bhavān

「汝,馬上にして,馬を忘れり」

とでも訳せるでしょうか.

サンスクリットでも,このような表現をするとは意外です.

漢文ならいかにもありそうな感じですが.

禅ならば,むしろ望ましい境地を指す意味で使えそうですが,このサンスクリット論書では,単純に,本題を忘れているという意味で用いられています.

すなわち,ヴェーダ権威論証がメインなのに,肝心のそこから外れてしまっている,という文脈です.



後日,桂先生より連絡あり.

MMK 24.15にソースありとのこと.

sa tvaṃ doṣān ātmanīyān asmāsu paripātayan/
aśvam evābhirūḍhaḥ sann aśvam evāsi vismṛtaḥ// MMK 24.15

汝今自有過 而以迴向我
如人乘馬者 自忘於所乘


般若灯論では

汝今持自過 而欲與我耶
亦如人乘馬 自忘其所乘



現代語訳では


Siderits & Katsura 276: You, throwing your own faults on us, are like the person mounted on a horse who forgets the horse.

桂&五島 95-96:「[空性を非難する]あなたは、自分自身の誤りを我々に投げつけているのだ。あなたは、まさに馬に乗っていながら、その馬のことをすっかり忘れて[「馬はどこにいる」と騒いで]いるのだ。
【別訳】[空性を非難する]あなたは、自分自身の誤りを我々に投げつけているのだ。あなたは、馬に乗っていながら、その馬のことをすっかり忘れて[「馬はどこにいる」と騒いで]いる人のようだ。」



和訳の別訳は最初のevaをivaと解釈しているということでしょう.

漢訳に「今」とあるのは,sa tvamとある「そのお前は」のニュアンスを「いまお前は」と訳すことで出しているのでしょう.

直訳すると以下のような感じでしょうか.

「いま君は,自分自身の過失群を,我々に向けようとして,他ならぬ馬に乗りながらも,その馬を忘れてしまっている.」

波羅頗蜜多羅訳の「欲」は,現在分詞「しつつ・しようとして」のニュアンスを捉えたものでしょう.

paripātayanのpariは,「ぐるりと回って」というニュアンスだと捉えると,鳩摩羅什の「迴向」のほうが「與」よりも良いでしょう.
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  1. 2017/06/08(木) 00:13:22|
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