Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

svaśiraśchedādismṛtiḥ:自らの頸を断ち切る等の想起

幻覚や錯覚.

インド哲学ではまとめてbhramaとして扱われます.

ジャヤンタが列挙するリストからも明らかなように,伝統的に,bhramaというときには,錯誤した知覚のみを扱います.(つまり誤った推論などは論じられません.)

夢も含みます.

要するに,対象がないのに対象があるかのように働いている直接的な認識(疑似知覚)のことです.

クマーリラのような実在論者は,認識には必ず対応する何らかの実在があると考えるので,夢で見る対象も,想起された昔のなにがしかであって,単に,時間や場所などが間違っているだけだと考えます.

つまり,組み合わせがおかしいだけで,一つ一つの素材については,どこかで見たはずだ,というわけです.

ジャヤンタは,自分では体験したことのないような例まで持ち出してきます.

夢で自分の頭を断ち切る(神への一つの供養の形態)というような体験は,果たして経験したことがあるのかと反論者は問います.

Svasirascheda

これに対しては,別に自分で体験しなければならないわけではないと答えます.

どこぞの誰かが首を切るのを見たことがあればOKです.

写真はマハーバリプラムのもの.

全く無いものは認識対象たりえない,というのがクマーリラやジャヤンタの立場です.

他の極端な例として,燃え上がる水,したたり落ちる火,流れる山にジャヤンタは言及しています.

マイソール版では,

jālajvalāgaladvahnidravadravyādidarśane

となっています.つまり,

jālajvalā-galadvahni-dravadravya-ādi-darśane

と分けられるでしょうが,写本に基づく校訂から正しくは,

jvalajjalagaladvahnidravadadryādidarśane

つまり,

jvalajjala-galadvahni-dravadadry-ādi-darśane

と訂正できます.

つまり,

燃え上がる水,したたり落ちる火,流れる山,など,を見る際に

となります.マイソール版を無理に解釈すれば,

魔術の炎,したたり落ちる火,液体物などを見る際に

とでもするしかありませんが,最後の液体物は明らかに例としては不適合です.

ちなみに,ジャヤンタはカシミール出身なので,別の文脈では,雨季の地滑りにも言及しています.

prāvṛṣeṇyajaladharadhārāsāranirluṭhita eva parvataikadeśe "parvatasya khaṇḍaḥ patitaḥ" iti.

ここでは,現実的に「山の一部が落ちた」と表現されています.

非現実的な「山が流れる」という表現ではありません.
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  1. 2017/07/23(日) 07:36:36|
  2. 未分類

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