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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

closed Mandala

年を取ると新しく学ぶということが難しくなってきて、

閉じた円環の中でぐるぐる同じ所を回っている、

ということが多くなります。

意識的に、どこかに風穴を開けて外に出て行かないと、

知的な成長つまり学びがなくなってしまいます。

そのことを感じるのは、

1.校訂や和訳をしていて分からないことがでてくるとき、

つまり、自分の知力範囲の限界を知り、強制的に新たな事項を学ばせられるとき、

2.学生に教えていて強制的に学ばせられるとき、

でしょうか。

自分が修論で扱ったテーマ、あるいは、博論で扱ったテーマを、その後もずっと追い続けるというのは、それはそれで重要なことですが、しかし、同じテーマに安住すると、自身の成長は期待できません。

教授資格論文のハビリタチオンが博論とは全く違うテーマじゃないといけないというのは訳あることだと思います。

自分の分かる範囲で資料の一部を切り取ってきて、それをつないで論文にするだけだと、自身の成長はほとんど望めません。

和訳研究が斯界に少ないのは、実際には、実力がばれるのが怖いから、というのもあるでしょう。

和訳を見るとすぐに実力がわかります。

校訂テクストも同様です。

自分の閉じた円環の中でぐるぐる回っていると、見たくないものは見えないし、聞きたくないものは聞こえない、という状態に陥ってしまいます。

どこかの大統領ならずとも、年取ると、人間、そんなものですが。

他人に改めてファクトを指摘されるのを待つしかありません。

恥かかないと学びはないですから。

逆に言えば、無恥と無知は最強です。

マンダナやシャンカラによれば、現象世界の根本は無知だそうですから、いずれにせよ、悪あがきの程度が異なるだけですが。
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  1. 2017/10/02(月) 20:13:58|
  2. 未分類

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