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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

切り

何事もそうでしょうが,どこで見切りをつけるか,というのは現実には重要です.(世俗諦レベルの話です.)

というのも,人間の時間は限られているので,いつまでも同じ作業に時間をかけるわけにはいかないからです.

理想的には(勝義的には),完璧に越したことはありませんし,完璧な作品を残せるに越したことはありませんが,現実には,どこかで一つの作品を仕上げて出版することになります.

そうでない,真の完璧主義者の場合は,永遠に作品というものは公開されないことになります.

校訂の場合も同じで,どこかで作業を止めるしかありません.

凝りだしたらきりがありません.

まずもって,どこまで写本を集めるか,という,この作業だけでも切りがありません.

ひょっとしたら,もっといい写本がどこかにあるかもしれませんし,そこまで待ったほうがいいかもしれません.

しかし現実的には,ひとつの作品にかける時間というのは限られていますし,何年もたってからそのテクストに以前と同じ情熱をもって取り組めるかといわれると疑問符がつきます.

やる気のある時に,手元の材料で臨むほうが,現実的というものです.

また,写本の数はさておき,どこまで見ても切りがないのが,間違いです.

見直すたびに,どうしても,間違いや修正というのは,やはり,出てきます.

間違いとはいわずとも,非一貫性などもあります.

コンマを打つか打たないか,あるいは,サンディをどうするか,さらには,スペースを入れるか入れないかなど.

凝りだしたら切りがありません.

見直せば,やはり,そういった気に入らない点というのは,見つかるものです.

完璧ということはありません.

(疲労していないフレッシュな目をもって)見直す度に,修正点を発見することができます.

もちろん,これが,1ページや2ページの校訂ならば,ぎゅうぎゅうと完璧に凝ることもできるでしょうが,さすがに,50ページほどにも渡る分量を一気に出そうとなると,どうしても,目が行き届かない部分というのはでてきます.

その時点でできるもの,その時点でベストなものを出す,という程度で満足するしかありません.

ダルマキールティのような理想モデルを追及する完璧主義者なら怒るかもしれませんが,現実に即すディグナーガやクマーリラなら理解してくれるでしょう.
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  1. 2018/09/26(水) 00:39:25|
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