FC2ブログ

Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

仮設の病



ゼロを認識するのが難しいのは世の常.

インドの場合は例外的に,当初からゼロを認識していました.

すなわち,文法学においては,ゼロ代置を操作対象としてそこにあるものとして当初から扱ってきました.

非有はそこにあるのです.

あるいは,あるものとして扱われます.

見えないものがある.adar"sanam lopa.h.

マイノングや虚構主義者もびっくりでしょう.

ダルモッタラも虚構対象については,「存在と非存在とに共通する」と言い切っています.

マイノングが聞いたら大喜びでしょう.

つまり,二律背反の支配を受けないものがそこに「あり」ます.

インド人も,もちろん,このような考えを受け入れるのに準備ができたひとばかりではありません.

むしろ,一般的には,二律背反に縛られたひとのほうが多数でしょう.

したがって,頭の固い有相派からダルモッタラは,「非常識」と断罪されてしまいます.

二律背反に縛られたおつむの固い人はどこにでもいるものです.

同僚の倉田さんの光文社からの新書もめでたく出版されたようで何よりです.

無相派の考え方も,虚構主義や,あるいは,マイノングあたりと絡めて論じれば面白いことになるでしょう.

また,少しずれるかもしれませんが,非存在の同一性・非同一性については,聖典解釈学者のクマーリラが当初から問題にしています.

非存在abhaavaもそこに実在vastuとしてあるとするのがバラモン教の基本的な考え方です.

ゼロや非存在・非有ということでいえば,数学だけでなく,哲学分野でインドには提供できるものがまだまだあるでしょう.

そういえば,マティラルにもNegationというのがありましたが,あれは,新論理学ナヴィヤニヤーヤからの話題提供が中心でしょう.

古い所をほじれば,まだまだ面白い話題はつきないはずです.


で,写真は,伊都の中心部.

後付けの建物がたっています.

建築家がバランスを考えて空白・余白としても,空き地とみるとそこにプレハブのような仮設をつけたしていくのは世の常.

箱崎も末期はひどいことになっていました.

プレハブプレハブの余白つぶし.

ゼロがそこにあることを見ないのが普通の人間.

しかも,移転を控えて,なんでもプレハブ.

最後は事務棟までもがプレハブでした.

先生の一部もプレハブ,事務の一部もプレハブ.

清貧法人プレハブ人生の謳歌の嘔吐.

俗世の本質は仮設だとのありがたい警告なのかなんなのか.

同僚の京谷さんは,凱旋門などの仮設絡みでサントリー賞ですが,彼自身が仮設のプレハブオフィスに住まわれていました.

仮設の実践.

伊都も,雨除けの天井があとづけでつけられたり,ど真ん中にあとづけの安っぽい建物が付加されたりと,建築家が当初意図したせっかくのインスタ映えの景観も,まったく異なったものになりつつあります.

この先どうなるかもあらかた予想がつくというものです.

箱崎の如し.

いずれ文系のどこかにも,余白を埋める仮設的な何ものかが追加されていくことでしょう.

すでに,週に二日しか使われない展望台が当初から追加されているので,なにができても驚きはしませんが.


そういえば,来月から構内全面禁煙実施だそうです.

わたしには全く関係ありませんが,広大な敷地を誇っていますから,愛煙家が学外に出ようとすると大変でしょう.

上下の高低差もありますから,愛煙行為のために,禁煙して運動しないと,上下の移動もままならないという逆説が生じるかもしれません.

そういえば,箱崎で学会をやったときのこと,休憩のたびに4階からぞろぞろ降りていく小川先生を隊長とする喫煙ガナがいたのを思い出します.
スポンサーサイト



  1. 2019/08/24(土) 11:03:01|
  2. 未分類

プロフィール

Aghora

Author:Aghora

最近の記事

最近のコメント

最近のトラックバック

月別アーカイブ

カテゴリー

ブロとも申請フォーム

この人とブロともになる

FC2カウンター

ブログ内検索

RSSフィード

リンク

このブログをリンクに追加する