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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

オープンアクセス,オーストリアの場合

オープンアクセスといえば,最近は,ウィーンのIKGAから出ている本でオープンアクセスが多く,非常に便利なのですが,どういうことかと前回行ったときに尋ねたところ,詳しいプロセスは私には理解不能でしたが,要するに,女性研究者のものは,全部,金をとってくる段階でオープンアクセスにするところまで含めて金をとる,つまり,女性研究者の場合は,金を与える側が,オープンアクセスの費用まで面倒みなければならない,と決まっているとのこと.

というわけで,アンのライフワークというべきプラサンナパダー冒頭の原典・英訳も,ありがたいことに,わたしのように,少々専門から外れて金を出してまで個人で買うことはないだろう層にも無料でアクセスできるわけです.

そして,貴重な成果が学生にも無料で配布して使えるわけですから,教科書にも使ったりできるわけです.

オープンアクセスの有無は,パブリシティの点からいえば,雲泥の差をうみます.

10年後,20年後の影響力の有無は言うまでもありません.

いまどき,本買う人など,個人では滅多にいません.

とくに,もっとも研究しているであろう博士課程在学中の人が,高い本を個人で買うことなど,専門の専門のどストライクでないかぎり,滅多にないでしょう.

リファレンスという点でも,そして,検索可能性という点でも,オープンアクセスにするのは重要.

国全体としての金の負担や,出版社への金の支払いなどが果たして正義なのかどうかは別として.(あくまでも研究者個人の目線で考えた時.)

現実問題として,目の前の問題――アクセスを広げる――を解決するうえで,オープンアクセスは手っ取り早い解決策であることは間違いないでしょう.

それに,女性研究者のサポートを併せると言うのは,現実的な対応策だといえるでしょう.

とはいえ,本邦における我々の分野(印哲=インド学・仏教学・インド哲学)の場合,そもそも,本が出ること自体が滅多になく,論文中心ですから,それほど深刻ではありませんが,海外の場合,やはり「業績」というと,本が中心ですから,それがオープンアクセスになることには大きな意味があります.

そういえば,後輩のYさんも,大層立派な本を出してご活躍中ですが,個人で(確か御父上の出版社から)出版していたように思います.

個人的努力で本を出さないといけないというのが,まあ,本邦における我々の現状です.

個人個人の善意で支えられているのが実情なわけです.

わたしも,最初の最初は,山喜房から出してもらいましたが,これも,単に社長(故人)の善意です.(ミーマーンサーの原典校訂など商売として売れるわけがない!)

成果発表用の科研が別途あるので,就職して肩書きを得てからは,そちらを使ってゆっくりと出版できましたけど,しかし,そのような段階に達せず,悠長に書類書いて審査に受かるかどうかを首を長くして待ってる暇もない博士直後の人間には,そうした制度自体,ハードルが高かったりします.(そして著書の有無は就職の有無と相関するでしょうから,ポスドクにとっては,生き死にの問題です.あとは、当然ですが、科研を出す資格がないと出せないので、既にそこで引っかかる若手は多いでしょう。)

T大I哲の博論成果の多くが,山喜房のビブシリーズからさっさと出ていて便利なのも,そうした実情を反映しているのでしょう.(つまり,たとえ資格があったとしても、受かるか受からないか分からない科研の成果公開促進費用よりも,そちらのほうが便利ということ.)

そして,実際,そうした研究成果発表の場が用意されていない他大学の印哲の場合,博論がすぐに出版されるのは極めて稀です.(H大のN本さんや,K村さんくらいでしょう.これも,O川先生の強制力があってのことであっただろうと推測しますが.)

懇意にしている元同僚のT先生から,教父哲学の本をいただきましたけど,これも,相当な額を本人が負担しているようです.

恐怖金失額です.

ライフワークですから,まあ,個人で出してもいいんでしょうけど.

本邦における我々近辺の地道な研究成果の発信というのは,結局,個人の善意に支えられているということなんでしょう.

はなからシステムには期待してませんが.

しかし,若い人の成果がすぐに出るような方向に徐々にもっていく工夫は必要でしょう.

また,公的な金(科研)を使った成果がフリーでアクセスできるようにすべきなのは,言うまでもないでしょう.(実際には,フリーアクセス云々の前に,アクセス対象となる成果自体をまともに出してないような人もいるかもしれませんが,それは問題外.あるいは,働き者の蟻や蜂もいれば,働かない蟻も蜂も必ずいるとの喩えで,それはそれで仕方ないとあきらめるしかないでしょう.)


とりあえずの対応策として,オープンアクセス費用の公的な負担は,(正義かどうかは別にして)現実的だと思います.

わたしもウィーンから英語本を出しましたけど,もちろんオープンアクセスでもないので,個人で買って持っている知人を見たことがありません.(それぞれの所属の大学図書館では買ってる人も中にはいるでしょうけど.)

しかし,ある一定の金を出版局に払えば,オープンアクセスにしてくれるはずです.

いくらかは知りませんが。

以上は本の話。

以下、雑誌論文。

JIPや、大手がやってるその手の国際的な雑誌は、投稿する際にオープンアクセスにするオプションがあり、そのためには金がかかります。(しない場合はもちろん無料)

たかだか論文一本なのに、結構な大金です。

あれ見ると腹立ちますが、しかし、金があるのなら、オープンアクセスにしたほうが、本来の目的は果たせます。

そもそも、人に読まれるために書いているのですから。

しかし、人の論文で商売している大手にたいしては、複雑な気持ちしか湧きません。

Q大は、金ないので、雑誌現物購入はおろか、JIPその他のパッケージのネットアクセスすらないですから。

書いたわたしも見れないという矛盾。(しかも、わたしは、JIPのボードメンバーです。つまり査読委員の1人。たまに査読でボランティア労働。)

カカオを作るプランテーション農園の人がチョコたべたことないのと似てます。

フェアでないのは明らかです。

最近書いたJHSという国際誌も、うちではアクセスできないので、親切な編者の人に泣きついて、できたばかりだという自分の論文PDF送ってもらったくらいです。

笑っちゃいます。

そういえば、IIJも査読したことがありますが、これも大学では買ってないので、うちでは読めません。
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  1. 2020/01/13(月) 10:41:24|
  2. 未分類

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