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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

ディグナーガ研究

ミーマーンサーも,よくよく見ると,写本やエディションなどを,クップスワーミシャーストリーなどのマドラス学派が用意してくれたおかげで,じわじわと漸進を続けてきたわけですが(そして彼らの影響力が消えると共に全くの停滞期間にあるときから入ってしまったわけですが),顕著に分かるのは,やはり,仏教研究でしょう.

なにしろ,人がおおいですから.

とはいえ,ピンポイントで見ると,貢献者の数は,決して多くはありません.

ディグナーガの場合は,やはり,本邦の研究者(先人)の活躍は見逃せません.

宇井,北川,梶山,服部,戸崎,桂.(そして,いまは,小野,室屋,渡辺.)

錚々たる面子です.(日本語が読めてよかったです.)

インドであれば,なんといっても,ジャンブーヴィジャヤジー.

ヨーロッパでは,フラウワルナー,シュタインケルナー,および,その弟子.

みながあれこれと着実な仕事を続けた結果,徐々に徐々に成果が積み重ねて来られたというのが実感できます.

ほんとに,すこしずつです.

こうした積み重ねの上に,ピンのアポーハ研究もあるわけです.

で,そのおかげで,わたしも,ある程度安心してディグナーガのアポーハを論じたり,あるいは,ディグナーガの知覚論やジネーンドラブッディの知覚章を容易に読むことができたりします.

テキストが頼りない段階での大上段に構えた哲学的な読み込みの研究もいくつかあるにはありましたが,今から見れば,あんまり役立たない気がします.

やはり,或る段階に即した或る適切な研究態度というのがあり,資料的制約から自然と取るべき方法論も規定されるように思います.

資料が頼りないチベット訳しかない段階で,大上段にあれこれと断定しても,テキストが整備されると,足元から掬われたりしかねません.

そこらへんは,テキストの状況を見ながら慎重にしたほうがいいでしょう.

ディグナーガのアポーハに関して言えば,ピン以前の先行研究で,哲学的な切り込みスタイルのものから,有意義に学ぶものはほとんどないように思いますが.

あえて,誤解の歴史を紐解こうなどという気力も時間もないので,細かいところがどうかは,精査しない限りは言えないでしょうが.

とはいえ,ディグナーガに関しては,まずは,彼の思想をきちんと読み解くための資料整備とテキストに即した基礎的解釈の初期段階にあるといえるでしょう.
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  1. 2020/01/14(火) 19:59:48|
  2. 未分類

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