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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

論理の花房の醍醐味

講義をしていると分かりますが,脱線も必要です.

というか,大概,脱線話のほうが記憶に残ったりしています.

ちょこちょこ脱線する,ということで変化が与えられますから,飽きずに聞き続けられるわけです.

ジャヤンタは,脱線というか,「ちなみに」のprasa"ngaや,「ちなみにちなみに」のprasakta-anuprasaktaで深入りすることがよくあります.

彼の頭の中では密接に関連しているので,その連想を抑えることなく,深入りして,哲学的な含意――たとえば他説における深い意図や可能性――を探っていくわけです.

そうすることで,読者も自然と,論争の含意・背景について,鍛えられていくことになります.

当該の議論のためには,軽く「非知覚」で済ませばいいものを,仏教徒との対論ですから,当然,ジャヤンタの心の中のダルマキールティが黙っているわけもなく,「いやいや,非知覚anupalambhaは厳密ではなく,知覚可能なものの非知覚d.r"sya-anupalambhaだ」ということになりますし,さらに,知覚可能なものの非知覚d.r"sya-anupalambhaは,誰にとっての知覚可能なものの非知覚d.r"sya-anupalambhaなのか,という,よくある議論に持ち込まれていきます.

そこまで徹底することで,議論が深まっていくわけです.

読者は,刹那滅というトピックを読みながら,知らず知らずに別の仏教説の深みに連れて行かれるわけです.

ジャヤンタの『論理の花房』を読んでいると,こういう楽しさがあります.

神社も,よく,周囲や裏に回ると別の神社の摂社・末社があって,一石二鳥ならぬ,一度で多効果が狙えて便利ですが,ジャヤンタも,或るトピックを学ぶと別のトピックも同時に学べるので便利です.
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  1. 2020/03/18(水) 19:10:32|
  2. 未分類

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