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Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

論理はどこで鍛えられるか?

限界や周辺が中心に潜む真の問題点を明らかにしたり,あるいは,議論を発展させてくれる,見方を深めてくれる,ということはよくあることです.

インド哲学でも,無理くりの話題が論理の深化・進化を促してきました.

ミーマーンサーのヴェーダ聖典の非人為性や,認識の自律的真,

ニヤーヤ学派の主宰神論証,

仏教徒の全知者擁護.

仏教徒の刹那滅論というのも,無理な話題を一所懸命擁護しようとするなかで,様々なツールが開発され,議論が深められてきた話題の一つです.

一般の人も,「諸行無常」の旗印くらいなら,「はー,そうですか」くらいで受け入れ可能ですが,「すべてが刹那滅」となると,普通には受け入れ不可能でしょう.

しかし,そこを無理強いするのが仏教論理学認識論.

無理強いで馬力が出るのが人間です.

徳俵での踏ん張り.

こじつけ論理も突き抜ければ,普遍性をもちえて,意外に他でも有効に使えたりします.

ジャヤンタの想定する仏教徒によれば,知覚によって刹那[滅]性が把握されるというのですから,たいしたものです.

要するに,刹那滅は明々白々,自明だというのです.
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  1. 2020/03/19(木) 19:07:52|
  2. 未分類

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