
やはり,厳しい議論の中で発展はあるので,そこは,譲る必要はないでしょう.
あたりが強いというのは,学問の発展のためには重要です.
なあなあのぬるま湯では,やはり,どうしても,批判が進みませんからね.
テイバーの昔の論文で,ビルギットの修論が出版されたのへの書評論文がありますけど,容赦なしですからね.
修士論文が優秀だから出版までされたんでしょうけど,一切,手加減なし.
こわいです.
テイバー,おかしいと思ったら,あるいは,おもしろいと思ったら,まず,議論から始めますからね.
議論することが,いわば,哲学的な営為でもあるわけですから,実際,正しいかどうかよりも,その中で,いろいろな有意義な議論の深まりもあるわけです.
SV→BTの議論にしても,それにあえて反対の立場をとることで,かなり有意義な議論の深まりが結果として得られることもありますからね.
ひとまず議論の穴を見つけて,そこから議論のとっかかりとする,というのは,やはり,大事です.
そうすることで,そこに書かれている哲学的な問題の位相もよりはっきりと見えてきますから.
すり合わせる中で,いろいろと見えてきますからね.
テイバーも手厳しいし,また,ラリーもこれは怖いし,エリーザも議論は大好き.
ミーマーンサー,そう考えると,怖いところですね.
ともあれ,僅かな研究本しかなかった80年代からすると,ほんと,遅々とした歩みではありますが,かなり進んだ感があります.
研究者の数が昔とは違いますからね.
テイバー,ラリー,エリーザ,ユーゴ,それに,本邦では,吉水,片岡.
そして,若いところでは,斉藤さん,また,マルコム.
ラリーの弟子もいますけど,最初の論文のその後,なにか書いているんですかね.
目にしてないですけど.
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- 2022/09/27(火) 23:40:40|
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