Pratibhanusarini --- 九州インド哲学ブログ2

On Indian Philosophy and Buddhist Studies

水曜日

マランソン卿率いるHYP.

ハタヨーガプロジェクト関係者の発表が連続.

会場にはソームデーヴの姿も.

鋭い補足コメントをしていました.

ヨーガ文献では,ソームデーヴ無敵です.

マランソン卿は,アムリタシッディAS,アマラオーガプラボーダ,チャトゥフシャタカほか.

ジェイソンは,ハタアビヤーサパッダティHAPとシュリータットヴァニディ.

マークシングルトンも,クリシュナムアーチャーリヤのネタ元を探る過程として,ハタアビヤーサパッダティ,絵付写本のシュリータットヴァニディ,ハタヨーガプラディーピカー,そして,いまだ写本をゲットできてないサンキヤラトナマーラー.

おもに関連する文献は,

ダッタアートレーヤヨーガシャーストラ
ヴィヴェーカマールターンダ
ヴァシシュタサンヒター
ハタプラディーピカー
ゲーランダサンヒター
ヨーガチンターマニ
ハタラトナーヴァリー
ジョーガプラディーピヤカー
シッダーンタムクターヴァリー
ヨーガーサナマーラー
ヨーガーサナ
ハタアビヤーサパッダティ

ダッタアートレーヤは,アーサナ一つですが,最後のハタアビヤーサパッダティは,アーサナが112.

ジャッキーが,この112の一つ一つを映像化.

かなり難しいものがあったようで,ようやく一つを残して映像化完了.

最後のは,まだ,どうしても実践できないそうです.

にしても,すでにロープを使ったものがあるのには驚きました.

ゴキブリのアーサナというのもあります.

パローシュニーのアーサナ.

そのうちヨガ教室で,「では,つぎは,ゴキブリのポーズです」と言う日が来るのでしょうか.
  1. 2018/07/12(木) 12:44:00|
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パブ



込み込みの7ドルでこのビール一杯。

サラダとジュースだけの張本さんも,かなりの金額を取られて激怒.

最初からチップ定額取るのも考えものです.

値段が読めません.
  1. 2018/07/12(木) 11:51:06|
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講演



講演前,サンダーソン教授の古い学生であるマンダークラーンター・ボースさんが先生を紹介.

厳しくて怖いので,びびってたそうです.
  1. 2018/07/12(木) 11:47:47|
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maple



メイプルシロップ.

ゲルゲイのを撮影.
  1. 2018/07/12(木) 11:45:11|
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マリア



こちらが,つい先日できたばかりの退官記念論集.
  1. 2018/07/12(木) 11:44:04|
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満員御礼



見知った顔が大集合でした.

余波で,同時刻の裏番組は人が少なかったそうです.
  1. 2018/07/12(木) 11:40:23|
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ハンバーガー



どれもこれも,ジュースは甘いのしかなくて閉口します。


サンダーソンは、用心して水にしてるようです。
  1. 2018/07/12(木) 11:38:18|
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サンタフェサンド



サンタフェサンドでさんざん散財。
  1. 2018/07/12(木) 11:33:50|
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ubc



店がある交差点。
  1. 2018/07/12(木) 11:31:46|
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チャイとスイーツ



クッキーは、エッグ抜き。

アンダラヒタと記してありました。

アクルジュカル先生に聞いたところ、プラブスイーツのものとのこと。

先生のつてで、会場には、インド人でもマラーティーの姿が目立ちます。
  1. 2018/07/12(木) 11:29:48|
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会場から500mほど歩いたレバノン料理屋。

店内で小林さんに遭遇。
  1. 2018/07/12(木) 11:28:21|
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ハタ



マランソン卿、ジャッキー、ジェイソン、マークシングルトン。

ハタヨーガプロジェクトの4人組。
  1. 2018/07/12(木) 11:25:41|
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火曜日

朝は,ハンガリー軍団と久々の再開.

チャバ,ゲルゲイ,ダニエル.

マリアの退官記念論集が出たところだそうです.

見えてもらうと,すべてハンガリー語.

雑談してからプログラムをチェックすると,アレックスのが朝一の8時から.

結局,間に合わず.

質疑応答の場面から参加.

中に入ると,ラリーと,ちょうどやりとりしている途中でした.

続く和田先生は,原因の定義.

na ... naほかについて,ラリーがまず質問.



岩崎君は,ヴァラナシで死ぬこと=解脱のナヴィヤにおける擁護論.

面白いトピックです.

彼らも彼らで,仕事としてそういうことをやっていたのか,あるいは,好きでやっていたのか分かりませんが,大変です.

続いて,ピョートルは,ジャヤラーシの推論批判.

午前の第2は,サンダーソンの特別講演.

150人強入る教室は満員.

予想されたので,早めに行って前の席を確保.

いつもそうですが,分厚い資料集あり.

先生もノリノリでした.

シャークタのカーパーリカ的背景について.

カーパーリカとクラマールガの位置付けについては,1985の論文では,まだ曖昧だったので,それへの訂正ということになります.

いままでは,アティマールガの下位区分にパンチャールタのパーシュパタと,ラークラ(カーラムカ,ソーマシッダーンタ)の二つのみを挙げていましたが,これに,明確に第三のカーパーリカを入れるということ.

それと,マントラマールガに,サイッダーンティカと非サイッダーンティカの二分は同じですが,その非サイッダーンティカに,カーパーリカの要素を濃厚に受け継ぐクラマールガを立てるということになります.

資料豊富すぎて,時間が4分の3も過ぎたというのに,まだまだカーパーリカの説明が続いていました.

残り30分で,速足で,マントラマールガへの発展へ.

アビナヴァの部分については,かなり高速な説明となりました.

ちょうど,洪さんとマッタヴィラーサを読んでいるところで,カーパーリカの古い記述が出てきますが,それへの言及ももちろんあり.

時にいろんなジョークを交えながら楽しい講演会でした.

資料については,てんこ盛りもてんこ盛り.

会場の後ろの方でしょうか,立ち見のせいかで誰かが壁に寄り掛かったせいかもしれませんが,トーク中に真っ暗になることがしょっちゅう.

4-5回は起こってました.

インドでよくある停電みたいです.

浄不浄の二元を越えていくカーパーリカ的な修行法については,手振り口ぶり顔芸まで交えて,楽しいトークでした.

先生,立ちっぱなしで,うろうろしながらの2時間.

黒板も使いながらの講義風.

先生が黒板に書かれる姿を初めてみました.

終わってから,昼は,サンダーソン,ハル,ケンゴ,ミシェルと一緒に,最も近くにある学内バーガー屋でハンバーガー.

バーガーは,まあまあでした.

フィッシュ&チップスを頼んだ人が二人いましたが,無言になっていました.

少し頂きましたが,たしかに,フライのまずいこと.

どう揚げて,どう置いておくと,あんなに味気なくなるのか不思議なほどです.

フィッシュ&チップスは,日本の英国パブで食べるのが最も美味しい気がします.

そのあと,サンダーソンを近くの(といってもかなり距離があるのですが)学内ホテルに送ってから,ハルと一緒に歩きながら彼の泊まっている別の学内ホテルへ.

時差ボケで寝れなかったので,いまから少し寝るとのこと.

ハルと別れて,私は,次に聞く発表まで時間があるので,構内から見える海を目指して,崖下のビーチへ.

アンスロポロジーのミュージアムを抜けて,森の中の長い階段を下りていきます.

石がごろごろしている海岸へ.(後から聞くと,少し行くと,砂浜ビーチもあるそうです.)

向こうの方から,威風堂々のヌーディストの兄ちゃんが,全裸にリュック抱えて歩いて帰るところに遭遇.

帰る途中,ヨヴィータがちょうど降りていくところに出くわしました.

私が息を切らして踊り場で休憩しているのを笑っていましたが,

「帰りにはあんたも分かるわ」

と返しておきました.

少し迷いながら会場のある方向へと歩いて帰る途中,アジアセンターを発見.

むかしのエクスポの日本館をそのまま移築したそうです.

あと,近くに日本庭園あり.

「ニトベガーデン」と命名されています.

受付嬢に聞くと20分ですぐ回れるとのことだったので,せっかくなので,7ドルを払って入場.

規模的には,大濠公園の日本庭園を少し大きくしたくらいでしょうか.

あるいは,目白台下の神田川沿いにある旧細川邸の公園と同じくらいの規模.

ただ,林立するマンションに囲まれた六義園とは違って,まわりに邪魔な建物がないので,かなり落ち着けます.

緑がきれいです.

しかし,芝生の刈り方が西洋風なのかどうか分かりませんが,違和感があります.

フラットで綺麗すぎ.

会場に戻ると,玄関のところでアレックスとアミトが話しているのに遭遇.

午後の部は,まず,フィリップマース.

PYSとNBhの関係について.

まあ,これでよさそうな気がします.

さらに,会場を移動して,ジョンネメジ.

2003年のUペン以来です.

会場には顔そっくりの娘さんも来ていて,

「娘,紹介するから」

ということで,ラリーと一緒に紹介を受けました.

ラリーが小さい声で,

「いや,そこまでやってもらわんでもいいねんけど.俺ならせんわ」

と言っているのが聞こえました.

娘さんも,サンスクリット学会会場でおとなしく座らされて退屈だったでしょうが,さすが,お行儀よくしていました.

続いてイザベルラティエ.

前半はイェール大で前に聞いた発表と同じ.

よくできたスライドも使い回し.

後半は聞いたことがなかったので勉強になりました.

要するに,シャンカラナンダナは仏教徒でいい,というだけのことですが,これまでの先行研究の立場がうまく整理されていて,立場のコントラストが面白すぎて,会場からは笑いが起こっていました.

あいかわらず,プレゼンうますぎのイザベルでした.

終わってから,ジョナサンとダニエレが「俺たちパブに行くから」と言っていた学内のケルナーパブに,張本さんと向かいます.

地図を見ながらですが,結構難しく,ようやく到着すると,とっくに到着して飲んでいると思っていたダニエレとジョナサンが,まだレジの前の列に並んでいます.

かれらは相当まよったそうです.

トレッキングに慣れている張本さんが,携帯のマップを見ながら移動していたので,我々は遠回りはせずにすみましたが,そうでないと,確かに難しいかもしれません.

大学構内,一区画が大きいので,迷うとかなり大回りすることになります.

雰囲気のいいパブのカウンター,

「チップ,含まれてるから」

と言われましたが,メニューを頼むと,18ドルくらいのはずが,なぜか23ドルくらいの請求になってました.

みんな,

「ここ高すぎ」

と,ぶーぶー言ってました.

ダニエレは,

「それでも飲むしかないさ」

と笑っていました.さすがイタリア人.

張本さんは,巨大なサラダ.

わたしは,サンタフェサンドイッチ.

どこらへんがサンタフェなのかよく分かりません.

中に挟まっている鶏のから揚げは,どう味わっても,マヒドン大学の屋台の激安から揚げのほうが遥かに旨いです.

クラフトビールと書いてありますが,ラガーは至って普通.

ジョナサンが頼んだIPAが旨そうだったので二杯目はそれに.

確かにIPAのほうが旨いです.

が,濃いので酔いました.

あとから,ほかで食事を終えた日本人が集合.

眞鍋,須藤,岩崎,加納.

さらにあとからは,フィリップマースとノエミも.

ノエミは,もうすぐしたら京都に来るとのこと.

修学院のところの寮に入れるそうです.

須藤君は,本日無事に,海外デビュー発表が終了.

ちょうどサンダーソン教授講演の裏だったので私は行けませんでしたが,好評だったようです.

ラリーも,あとから,褒めていました.

「あれで基本はええんちゃう.ただ一つだけ,クマーリラが元ということにしたほうがいいやろ」

とのことでした.まあ,そうでしょう.

慎重になり過ぎましたが,もう一歩踏み込んで,そこまで言っても良いでしょう.

博士2年目で,いきなりの国際学会,しかも,前列に,突っ込みに向けて間違いに目を光らせるラリーが陣取っている会場とか,私だったらちびってましたが,うまくいったようで何よりでした.

苦からの解放=解脱.

わたしのは最終日の金曜日.解脱は遠いです.
  1. 2018/07/11(水) 22:22:21|
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構内



キャンパスが広いので移動だけで結構な距離を歩くことになります。
  1. 2018/07/11(水) 21:27:42|
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会場

  1. 2018/07/11(水) 21:22:47|
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バジュパー



のお偉い政治家かなにかだそうです。

どこの国も「国語」や「固有の文化」となると、政治と密になります。

なんでもいいけど、私の願いは、写本へのアクセスをよくしてもらいたいだけです。

サンスクリット文化の掛け声はいいけど、むしろ、各地の写本アクセス状況は悪くなる一方の気がします。
  1. 2018/07/10(火) 21:07:02|
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カルドナ先生の講演



大画面の字が小さ過ぎて見えません。

一般講演ですが、内容は、突っ込んだものでした。

シャバラやマンダナにまで言及していました。



超人気で、特にインド人からは生き神様かパーニニの生まれ変わりの扱いですから、話していても、ひっきりなしに誰かがインターヴィーンしにやって来ます。

この場面はスタッフのアディーシュが、

「先生、次、講演本番ですので、裏に来てください」

と急かしているところ。
  1. 2018/07/10(火) 20:51:13|
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UBC



夕方にプログラムが終わってから,UBCのアクルジュカル先生と長々と談笑.

ムリナールも.

両者いずれも本当に久しぶりです。

アクルジュカル先生は、最後はお決まりの健康談義で、今回は、目について。

近くには息子さんのムクタカの姿も。

昔、Uペンのハルのカーヴィヤ授業で会ったことがあります。科学のほうですが、趣味でサンスクリットもしているので、詩の授業に出て来ていた時のこと。

そのほか,サンダーソン先生,カルドナ先生など,久方ぶりの先生方にも挨拶.

お決まりのファンクションは、政治家の挨拶やホスト側の学長挨拶などに続いて、バテーさんがビデオ挨拶。

綺麗なサンスクリット語で分かりやすいものでした。

会長のクトゥンバシャーストリーは、さらに話芸に磨きがかかっていて、一部では完全に歌ってました。

彼は、もともとはティルパティなので、その時から知っています。

私がポンディのefeoに移ると、彼もポンディ大に移動していたので、研究会に参加させて貰ったことがあります。

休憩を挟んでからのカルドナ先生の講演では,前に移動.

ちょうど,前席にラリー,ウィットニー,シャーマンの姿が.

ウィットニーは,2003年シカゴ以来の気がします。

昔から俳優みたいな味のあるイケメンでしたが、いまも若々しいまま。

シャーマンも随分会っていません。ポンディでの研究会以来でしょうか.

午前のファンクションの後は,学内のレバノンレストランであるJamjar Canteenの弁当をto go.

紫キャベツサラダ(or米orラップ),メインの肉,野菜二種,ピクルスのコンボ。

前の前の人が注いで貰っていた米の量が多そうだったので、キャベツにして正解でした。軽めでキープ.

にしても,朝の受付行列の長いこと長いこと。

しかも、全然進みません。

バッグを貰って、次のカードの列へ。

30分以上かかりました。

後方に岩崎君の姿も.

列に並ぶ間に,アルロー,ピーター,ジムマランソン卿と談笑.

ジムは,ウィーンの国際ヨーガ学会以来です。

彼のサドゥー風モジャモジャ頭も巨大ですが、もう一人インド人で巨大なのがいて、そちらの方が若干優ってました。(あとから彼と会話したマランソン卿に聞いたところでは、ニムバールカ派だそうです。)

前回のタイでもみたことがある人でした。

午後セッションは,仏教へ.

チャールズ,松田先生,ヨヴィータの後,ラリー司会のダルシャナ部会へ移動.

前の人のが終わり,司会のラリーが,

「アカネはいないの?」

と聞きます.

私が「来てないよ」と言うと、後ろからソームデーヴが「自分が代読頼まれている」とのことで前へ.

ブラフマシッディにおける知覚と聖典の齟齬における聖典の優越における解釈学的なニヤーヤ(解釈規則)のミーマーンサー的背景について.

終了後、ラリーに、眞鍋君と須藤君とを紹介。

部屋には,その部屋のトップバッターを務めたカーシーナートをはじめ,ネパール人が複数.

カーシーナートとは,2002年頃にカトマンドゥで会って以来ではないでしょうか.

彼はサンスクリット語で発表したそうです。

一緒にいたニーラージャンも、久々です。

そのほか、話だけはよく聞いてましたが、アーナンドとも初対面で会話。

当然ですが、あれこれ繋がってました。

玄関でフェレンツと話していたティムからは、最近行って来た一ヶ月のインド写本調査の近況について詳しい話を聞きました。

どこも、許可事情は厳しいものばかり。

そんななかで、なんとか、望みのものをゲットできたようです。

私も希望の持てそうなところは行ってみたくなりました。

そのほか、カリフォルニアの若手とも会話。

ケビンは、IPVを哲学的にやっているそうです。

イザベルの資料を結構使っているとのことでした。

1日の最後は、学内カフェで、張本さん、松田先生とお茶。

店は、7時で閉まるようで、ギリギリセーフでした。

帰りに交差点にいると、渡辺君の姿が。

夕ご飯を食いっぱぐれて、近場に行くところでした。

大学が広いので、機会を逃すと、結構不便です。

わたしも、今日は、諸々の学内移動でかなり歩かされた気がします。疲労。
  1. 2018/07/10(火) 13:36:47|
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月曜





アルローとピーターの姿が見えます。












  1. 2018/07/10(火) 13:31:15|
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ウェスブルック




朝カフェでアレックス。

メールはしょっちゅうですが、対面は久々です。

サモサにラテしながら、あれこれと談義。



「最近走ってる?」

と私が聞くと、

「大気汚染で外で走ると健康を害するから走ってない」とのこと。

いやはや。

季節によるそうで、12月以降の空気が停滞する時期がひどいそうです。

運動不足に最近の集中的原稿準備のせいで、四十肩とのこと。
  1. 2018/07/09(月) 10:09:53|
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ウィジュさんのランゴーリー



オシャレ系人気インド料理屋、ウィジュさんのランゴーリー。

たしかにプレートの見た目も綺麗ですし、内装もいい感じ。

外のテラス席も一杯。

日本人なので、私は内に着席。

インド人カップル1組以外は全て非インド人。

一般受けのする店なのが明らか。

やたら飲み物が充実しています。

チャイにしてみました。
  1. 2018/07/09(月) 09:46:46|
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ローマンか,デーヴァナーガリーか

前回ウィーンに行ったときのこと.

ローマンで出すべきか,デーヴァナーガリーで出すべきか,という(よくある)話になりました.

原典校訂を出すときのことです.

私の場合,幸い,フローニンゲンのスカンダプラーナのフォーマットをそのまま貰って,その形でいまだに出し続けているので,最初からテクストはデーヴァナーガリーでした.

これが一番自分には簡単だったというのもあります.

そもそもの修行がインド仕込みですから,ローマンで出す気がしなかったのは確かです.(ヒンディー語をローマンにするのが妙なのと同じように,私にとっては,サンスクリットをローマンにするのは違和感があります.)

というのも,デーヴァナーガリーのほうが遥かに早く読めるからです.

ローマンで読めというのは,漢字を使わない平仮名べたうちの日本語を読め,というくらいに,違和感を感じます.

読めないことはありませんが,無駄に時間がかかります.

デーヴァナーガリーのほうが遥かに早いですし,また,語感も伴いますし,さらに,打ち間違いを発見するのも簡単です.

nの下点と上点は,ローマンだと間違いやすいものですが,デーヴァナーガリーだと,打ち間違いがあると明らかに違和感が生じてきます.

あと,よくあるのがprとrpなどの入れ替わりですが,これも,デーヴァナーガリーならすぐに気が付きます.

なぜ,デーヴァナーガリーにするのか,という利点については,かつて記したことがありますが,自利利他円満というのがあります.

まず自利としては,先ほどいった,自分が読むのが簡単ということです.

利他としては,インド人は,まず,デーヴァナーガリーのテクストしか読まないだろう,ということです.

チベット人のお坊様が,ローマナイズのチベットテクストを読むでしょうか?

ありえません.

同じです.

インド人も,ローマナイズのテクストをわざわざ読む人などいないでしょう.

デーヴァナーガリーなら,普通に読むでしょうが.

わたしが,シャバラとクマーリラで博論を出したころは,まだまだ,ローマンで校訂本を出すというのが主流でした.

たしかに,そちらのほうが分析的ではありえます.

というのも,デーヴァナーガリーの音節一文字が,ローマンなら"ka”のように二文字になりますから,細かい作業には向いています.

いつごろから潮目が変わったのでしょうか.

もちろん,技術的なハードルが下がったから,デーヴァナーガリーで出すのが簡単になったというのはありますが,やはり,ジネーンドラブッディのPST1がデーヴァナーガリーで出たのはインパクトが大きかったように思います.

当然,ウィーンからなら,ローマンで出てくるかと予想していましたから.

実際,当初は,ローマンで出すつもりだったのでしょうけど,おそらく,インド人のことを考慮してでしょうか,デーヴァナーガリーにしたのではないでしょうか.

詳しい経緯は分かりませんが.

エディションを見ると,ヴィラーマも含め,ローマンで用意した痕がうかがえます.

同じことは,アンのプラサンナパダーにも言えます.

こちらは,明らかに原稿をローマンで用意していながら,最終局面でデーヴァナーガリーで打ち出すようにした感があります.

ともあれ,読む側としては,デーヴァナーガリーのほうが助かります.

ちなみに,サンスクリット語文法は,ローマナイズから始めるのが一般的だったりしますが,私の場合,ヒンディー語習得も同時進行だったので,ローマナイズという行程を経ずに,最初からダイレクトにデーヴァナーガリーを読んでいたので,そもそも,ローマナイズが不要というのがあります.

日本人がわざわざローマナイズする意味が私には余り分かりません.

ヒンディー語をローマナイズしないように,サンスクリットもローマナイズする必要はないでしょう.

もちろん,知識として,ローマンの対応を知ることは,論文を書く上で必要になりますけど.

デーヴァナーガリーをわざわざローマナイズさせて,そこから文法を学ばせるというのは,わざわざ道を長くしているような気がします.

もっとも,いきなりデーヴァナーガリーを見せると,それだけで多くの人がびびって寄ってこないというのが,たぶん,ローマナイズにする事情でしょうけど.

とすると,ローマン使用の利点の肝は,本質的にローマンのほうが良いからという与願印的解釈より,単に,人を恐れさせないようにという施無畏印的解釈のほうが,実情に即しているのかもしれません.

三つ子の魂で,最初にローマナイズで習った人は,いつまでもそれを引きずるということかもしれません.

欧米で閉じた研究世界ならいいでしょうが,やはり,インドも含めてオープンにやるには,デーヴァナーガリーがあるべき姿ということは否めないでしょう.

技術的な問題がない今,理由もなくローマンにこだわる必要は低いと思えます.

もちろん,ローマンのほうが自分は読みやすいという人はいるでしょうが,その場合,自利が利他に優先しているいことになりますので,そのような御仁は,小乗的と誹謗されても仕方ないでしょう.

まあ,実際のところは,原典校訂の出版自体が少ないので,どっちで出ようが,優れた校訂本であれば,どっちでもいいのですが.

重要なのは,間違いが少ないかどうか,きちんと校訂されているかどうかです.

その上で,どちらも可能ならば,どっちがいいか,という程度の話題でした.

実際的な問題として,インド人に読んでほしいならデーヴァナーガリーということにはなるでしょう.
  1. 2018/07/09(月) 00:06:24|
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Vancouver

福岡から羽田経由でバンクーバー到着.

羽田の手荷物検査で荷物を受け取ろうとしたところ、ぐらんぐらんとしたので、飛行機に乗ったせいで足に来たかと思ってしまいましたが、8:23の地震でした。

周囲の人間が少ないと、自分だけがおかしいのか、人も感じているのか、自信なくなります。

羽田からは運良く(?)キヨが一緒でした.

バンクーバーの空港タクシーの運ちゃんは,ヒンディー語人ばかりなので,便利です.

乗ったのはシクのおっちゃんタクシーで,非常に親切でした.

目的地はちょっとややこしいところですが,一所懸命探して,真ん前までつけてくれました.

さて,到着地についたは良いものの,若干のトラブル発生.

ワイファイがなかったので,近場のワイファイを探してうろうろしていたところに,インド人の兄ちゃんが通りかかったので,「近くにワイファイできるカフェないか」と聞いたところ,その場では,「うーん,わからない,ごめん」とのことでしたが,1分ほど後に車で通りかかったときに,「少し先にマックがあるから行く?」と載せていってくれました.

500mほど行ったマックの真ん前まで積んで行ってもらいました.

助かりました.

ともあれ,快適,爽快な天気.

しかし,やることがあれこれと山積み.

自分のもですが,その前に,まずは院生のペーパーを直さないと.

外で日も浴びたので,一気に時差が解消されるといいですが.
  1. 2018/07/08(日) 13:52:06|
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文献を読み解く楽しさ

純粋な知覚の内容というのは言葉にできないというのは,インド哲学諸派の多くが認めるところです.

それはあくまでも直接的であり,言葉で指し示されるようなものではありません.

avyavadesyaです.

自分で感じるしかないようなものsvasamvedyaです.

自分の好きな味を人に伝えるのは難しいものです.

それは,本質的に不可能だからだ,というのが仏教徒他の立場ということになるでしょう.

同様に,「サンスクリット文献を読んでいて何が楽しいのか」という究極のところは,言葉にできるようなものではありません.

自分で感じる楽しみが究極的な対象ですから,言葉にできるようなものではありません.

本人が感じるものです.

何か脳内物質が出ているのでしょう.

こむずかしい哲学文献を読んでいて楽しいのは,それを読み解く楽しさがあるからです.

適度に難しいというのは,頭には楽しいものです.

そして,インド哲学文献の場合,適度に校訂が間違っているので,それを直していく楽しさ,訂正を推測したりする楽しさもあります.

犯人捜しではないですが,そのような推理の楽しさもあります.

もともとの読みαがこうなっていたはずで,そこから,これらの(安易な分かりやすいor単純に間違ったetc.)読みが派生してきたはずだ,ということを,手元の証拠から再構成していく楽しさです.

勝義的には,自分が楽しいからやるわけです.

これは,発動原因を「望まれたものの手段性」と規定するマンダナの立場と合致します.

功利主義的な立場です.

あるいは,プラバーカラ的な観点から,「やらねばならない」という指令を内面化してしまえば,これこそ自分の義務だ,やらねばならないことだと思うからです.

その場合には,一種の使命感というものが自分を突き動かすものとなります.(これまでの成功体験から「これはやるべき」という指令が脳内で出ているのでしょうから,究極的には,マンダナのほうが正しい気がします.)

3000年に渡ってインドの天才達が残してきた膨大な優れたサンスクリット文献を読み解くことが楽しくないわけがありません.(体験先走りの宗教的天才が非正規の――つまり間違った――サンスクリットで残した一部のタントラ文献も,それはそれで,どうしてこのような形になるのかを推測していくならば,楽しいものです.)

理屈が嫌いな人にはうんざりでしょうけど.

少なくとも,いままで伝承されてきたという長い歴史が,その価値を保証していると言えるでしょう.

昨日今日の作家が書いたものとは,サンスクリット文献の質は,全く異なりますから.

いずれの古典も,さらにそれ以前の古典の長い伝統を受けて書かれたものです.

バルトリハリ曰く

「自己の思弁を追って,如何ほどを,導き出すことができようか?」

オリジナリティという言葉にだまされて,古典から学ぶことを忘れるならば,貧しい精神とならざるをえません.

伝統から切り離されたデラシネ精神が生み出すのは,例えて言うならば,ジャンクフードのような料理でしょう.

それが好きという人も多くいるでしょうけど,私が求めるものは,それではありません.

しかし,こんなことを言っていては,紅衛兵やポルポトからは,反動分子として真っ先に吊るしあげられるでしょうが.
  1. 2018/07/07(土) 09:25:00|
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認識基体依存性成立

「認識基体依存性成立」という合成語が出てくるので,何だろうと思って暫し悩みましたが,「認識基体依存生起」という別の用例で気が付きました.

単に,「知性を持つ作者を前提とすることが成り立つ」というのを,別表現で言い換えただけでした.

認識の基体,すなわち,知性を持つ者.

彼に依存している,すなわち,彼を前提としている,ということで,要するに,結果が原因となる作者に依存していることです.

もってまわった表現をし過ぎです.
  1. 2018/07/06(金) 23:00:43|
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अन्तर्जालद्वारिका संशोधनधर्मशिक्षा

研究倫理教育のe-learningを受講せよ,という命令が来ました.

3年おきに受講しないといけないそうです.

さて,研究倫理教育をサンスクリットにすると,

संशोधनधर्मशिक्षा

とでもなるでしょうか.

e-learningのほうは,

अन्तर्जालशिक्षा

くらいでしょうか.

まとめると

अन्तर्जालद्वारिका संशोधनधर्मशिक्षा

くらいでしょう.

いずれにせよ,ダルマの考究というのは,大昔からの印哲のテーマです.

インド人なら,『研究倫理経』でも作ってくれるでしょう.

もちろん,最終的には繁栄か解脱を目指します.

息子大学合格祭を儀礼として売り出すならば、マントラはどんな風になるのでしょうか.

順当にいくと,オーム・サラスヴァティヤイ・ナマハあたりでしょう.いまひとつ強力じゃないですが.

あるいは戦勝祈願祭あたりを応用すれば何かあるでしょうか。
  1. 2018/07/06(金) 19:51:59|
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BJK



諸行無常ゆえに,作られたものは全て長続きしないわけですが,ネパール料理屋の変化の速さは異常とも思えるほどです.

表面は変化していなくても水面下では激しく動いています.

店の見た目は同じでも,オーナーが代わっていたり,はたまた,オーナーは変わらずとも,コックや店員が変わっていたり.

まさに,ジャイナやサーンキヤ的な世界観.

変わらぬ部分と変わる部分と.

とあるネパール料理屋.

共同オーナー5名から,Bさん代表に変わったのが今年に入ってから.

気概のあるコックのTさんはそのままで安心していましたが,店員は一部入れ替えていました.

明らかに素人風情を集めた感じのある人選.

安上がりで従順な人に代えたいのが明らかでした.

さて,どうなることやらと見ていたら,Tさんが辞めていました.

どこに行ったのやらと事情を聞くと,たまたま店に来ていた客のMさんから,「箱崎で飲んでるのを見たよ」との情報.

帰りに行ってみると,果たして,Tさん,飲んだくれてました.

「二か月働いてない」と言っていましたが,いろいろな情報を総合すると,おそらく二週間のようです.

彼の目の覚めるダルが食べられないかと思うと残念です.

どこかの厨房で早期に現場復帰してほしいものです.
  1. 2018/07/05(木) 19:46:11|
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アイシュワリヤ

アイシュワリヤといっても,女優のことではなく,文字通り,イーシュヴァラ性・自在者性,つまり,自分の好きなようにできるという者が持つ属性のことです.

今風に簡単に言うと,権力,権限ということになります.

神の場合は絶対的な権力を持つわけですが,通常は,それぞれの職場において権限を持ちます.

いわゆる職権です.

全知全能の神の議論においても,「壺つくり職人は,壺を作ることに関しては全知だ」という議論がありますから,それと同様に考えれば,それぞれの職権に関しては,自分の好きなように差配できるというアイシュワリヤがある,というように言ってもよいでしょう.

さて,ヴィザというのは,もちろん,それを出す国に全面的に依存します.

申請書類が完璧だろうがどうしようが,気に入らなければ出さないという権利がその国にはあります.

国といっても,実際には,誰かなわけで,その誰か,つまり,責任者が気に入らなければ「出さない」という選択肢も当然あるわけです.

ここで問題は,書類が全て完璧でも「出さない」という選択肢を取ることはできるのか,ということです.

自由意思の問題ではありませんが,つまり,ここで,自由意思が発揮できないならば,実は,それは隷属状態ということになってしまい,真に「職権を持つもの」つまり「力を持つ者」つまり,イーシュヴァラではなくなってしまいます.

つまり,神のように時に残酷にふるまうことも,力の行使には必要となります.

ヴィザ申請で,そんな相手の気まぐれにあたると悲惨です.

まさに「ダイヴァート」,運命のいたずら.

天竺方面においては,実は,このような(被害者にとってはいじわるな)「権力の行使」というのは,結構あります.

つまり,自分の力を試すためだけに,Noと言うのです.

むかし,偉い政治家の娘が大臣になったときに,自分の機嫌一つで認可を出さないということを急に言い出して,バッシングになったことがありました.

つまり,日本では,上から下まで,実は,自在者性というのはありません.

周りの空気を読まざる者は生きていけないようになっています.

周りに期待されるように,「はいはい」と印鑑を押す必要があります.

自分に権限があるからといってNoを言った途端に,そのポストから降ろされることになります.

丸山真男の言うのも同じことです.

誰にも真の意味での責任はないわけで,総無責任体制なわけです.

しかし,インドは違います.

上から下まで,それぞれの範囲での自分の権力・意志を最大限に発揮しようという気概(危害)があります.

インドの役所(警察署)に行けば分かるでしょう.

大学の事務も同じです.

嗚呼,日本の役所・事務のありがたさ.

旅行者はインドの役所や事務にあたることはほとんどないでしょうけど,駅などでは,そのような対応に稀にあたることもあるでしょう.

幸い,外国人旅行者は,メジャーな駅では,外国人専用の窓口がありますから,そのような悲惨な体験をせずに済みますが.(そんな窓口がなぜあるのか,ということは,推して知るべしです.)

昔,まだ私がティルパティにいたときのこと.

留学してから何十年ぶりにマドラスにやってきた上村先生を訪ねて,ティルパティからマドラスまで出ていきました.

先生の昔の同級生で,いまはマドラス大の先生になっている人のよしみで,『写本カタログのカタログ』の原稿をチェックさせてもらい,写本情報を写させてもらったことがありました.

つまり,まだ原稿段階の元のカードを,わざわざ編纂室のおばあちゃんが親切にも出してくれたのです.

これは,もちろん,上司にあたる人が命令したからです.

もう少し他の情報も写したかったので,翌日,直接にその従順そうに見えたおばあちゃんにお願いしたところ,ヒステリーの爆発で猛烈に拒否されました.

昨日は部下よろしく,おとなしくしていたおばあちゃんですが,上司がいなくなったとたん,この変身です.

しかし,こんなことは日常茶飯なので,さっさと諦めて引き下がりました.

なにしろ,相手にはそのことに関して全面的に職権があるわけですから,ここで一介の学生が頑張っても仕方ありません.

このおばあちゃんも,自分の職権に関しては,全能なわけです.上司に命令される以外は.

同じく,マドラスのX大学にある写本図書館.

ここも,昔は,悪名高い図書館長がいて,写本は2本まで,などと勝手なことを言い出して随分閉口したものです.(いまは別の人にかわって親切だそうです.)

まあ,2本も写真取らしてくれるのなら,それはそれで御の字なのですが.

日本から高い航空運賃とエネルギーと時間をつかってマドラスまでやってきても,「いやだめだから」で,たったの2本.

「では,明日きたら,取らしてくれるのか」というと,それもだめ.

「では,あさっては」「では,一週間後は」というと,それもだめ.

次の機会となると,当然一年後になります.

つまり,次の機会に日本から来る一年後じゃないとだめ,というわけです.

本質においては,要するに,自分がNoと言いたいだけです.ルールも何もありません.

現に,その次の人になると,申請書を書けば,ちゃんと対応してくれるようです.

「自分=ルール」なわけで,権限を最大限に使いたいだけです.

要するに,機械をいじり倒す子供と同じで,自分の権限を最大限に使いたいだけです.

役所というのは権力を本質とする場所ですから,当然,権力こそが最大の武器なわけで,当然,そこには権力の行使ということが本質的な業務としてあります.

したがって,Noと言うことも,そこには選択肢としてありうるわけです.

日本的な感覚でYesを期待すると不幸になります.

相手への期待値を下げること,インドにおいて幸福に過ごすコツです.

「そんなこともあるか」「そんなやつもいるか」(多様性)で済ますしかありません.

まさに自身の寛容さが試されます.

「多様で寛容なインド」の裏の意味です.

結局のところ,実際的な教訓として何が言えるかといえば,「(階層機構の)下からではなく上から行け」ということです.

「下には強く,上には弱い」というのが,ヒエラルキー社会のお役所的体質の特徴ですから.

個人的には吐き気がしますが,社会の現実がそうなのですから仕方ありません.

いずれにせよ,そのような体質が濃厚な社会で何か事を起こそうとすると,いろいろと大変だ,ということです.

私の場合は,写本の複写という,たったそれだけの実に些細な私利私欲なき願望でしかないのですが.

ガネーシャは,別名を「障害を取り除く者」(ヴィグナハラ)と言われますが,そのような神に人気が集まるのも当然です.

いまは,相当数の写本が手元にあって,それを校訂する作業に忙しいので,写本蒐集作業はたまにするだけで済んでいます.

障礙障礙の日々からの解放,即,涅槃.

ガネーシャに祈らなくていい日々の続くことを祈ります。
  1. 2018/07/04(水) 19:09:48|
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WSCに向けて

カナダのWSCに向けて準備をしたいところですが,

1.通常の授業
2.院生・ポスドクのWSC論文のチェック(うちからは3人が渡加)
3.西日本印仏研の学会準備・人数確定・宿手配
4.うちの雑誌『南アジア古典学』の編集
5.WSC以外の自分の論文
6.雑務・入力事務

で,自分の論文を再度チェックする暇もなし.

いい加減,パワポも作らないといけません.

しかも,なぜか先週は,お客様の多い週で,各地から知り合いが.

ついつい楽しく過ごしてしまいました.

集中するときには集中するという,文字通り,そんな週でした.

にしても,今回のWSC,ニヤマン発表が続く部屋まであります.

須藤君は,アレックスワトソンに続いて二番手.しかも司会はモニカ.

Tuesday | July 10 || 10.30-12.30pm
Jayantabhaṭṭa & Nyāya

1. Alex Watson, Ashoka University: Jayanta Bhaṭṭa on Whether Perception Supports or Refutes the Buddhist Doctrine of Momentariness

2. Ryushin Sudo, Kyushu University: On Aprayojaka and Upādhi

3. Udita Bhattacharyya, University of Delhi: Jayantabhaṭṭa’s Notion on Perceptibility of Abhāva

4. Agnieszka Rostalska, Ghent University: Epistemic Autonomy of Testimony in Nyāya: The Key Anti-Reductionist Argument Posed by Uḍḍyoṭakara, Bhāsarvajña & Jayanta

時代は変わります.

ちなみに同時刻の別部屋はサンダーソン教授の講演会ですから,多くの人はそちらに行くでしょう.

Alexis Sanderson, Fellow, All Souls College, University of Oxford: The Śākta Transformation of Śaivism

以下は,張本さんパネルの私の発表部屋.最終日である金曜日の午前です.

ハル,ハリモト,カタオカ,アレックス,そして,コメンテーターがヨコチにソームデーヴという特濃部屋です.

Friday | July 13 || 10.30-12.30pm
Buchanan A202
Binding Liberation: A Roundtable Around the Idea of Liberation in Sanskrit Culture

1. Harunaga Isaacson, University of Hamburg: Keynote Speech on Liberation

2. Kengo Harimoto, Mahidol University: Denying Saṃsāra in the First Place

3. Kei Kataoka, Kyushu University: Jayanta on Kumārila’s View of Liberation

4 Alex Watson, Ashoka University: Some Reflections about the Diversity of Views Concerning Liberation and How to Classify Those Views

Commentators:
Yuko Yokochi, Kyoto University
Somadeva Vasudeva, Kyoto University
  1. 2018/07/02(月) 23:18:34|
  2. 未分類

差異の世界

純粋なセンスデータ的な知覚情報だけでは,何も実際の行動は生まれない,というのは,仏教認識論学派も自覚するところです.

したがって,概念化・分節化を孕む分別というものを,行動につながる認識作用として認めざるを得ません.

いっぽう,不二一元論学派は,もちろん,差異というものを認めず全てを一元に帰そうとしますが,ですが,我々が目の当たりにする現実世界の差異を一元に「帰そう」とするのであって,その出発点自体は変わりません.

現象世界が多様であることが出発点であり,それをどのように説明し,幻として葬り去るかが彼らの課題です.

アビダルマコーシャの業品において世親が言うように,「世界の多様性」が出発点としてあるのであって,それがどのようにして生み出されるか,それを説明するのが諸学派の理論です.

あるものは業だと言い,あるものは第一原因だといい,あるものは創造神だといい,あるものは世界はこのままずっとのぺーっとあった,そして,これからもあるだろうといい,始原という考え方自体を否定します.

日本仏教が一枚岩ではないのと同様,インド思想界も決して一枚岩ではなく,多様な説明方法が存在して競合しています.

差異を前提とする分別の世界,そこに好悪の感情が組み込まれ,結果の良し悪しが考慮されるようになれば,当然,単なる差異は差別へと転化せざるを得ません.

我々は,概念構想の現実現象世界において,不可避的に差別をしながら生きていくことになります.

バルトリハリの言うように言葉に貫かれて生きていくということは,すなわち,差異に囲まれながら生きていくことにほかならず,それは,差別の世界に生きていくことにほかなりません.

だから逆に「平等」(sama)ということが理念的理想の境地として掲げられるわけです.

いずれにせよ,対象そのものを見るわけでなく,過去の体験に引き当てて好悪のイメージを対象に付託するわけです.

増益(ぞうやく)の世界です.

「増益!増益(ぞうえき)!」と嬉しがっていた会社の粉飾決算は,まさに増益(ぞうやく)の世界でした.

究極的には,世界の役に立つなどという「増益」第一の考えも,甚大な被害をもたらしたどこぞのプラントのように,単なる見せかけの増益でしかありません.

何が誰にとり役に立つか役に立たないかということは本質的に計算不可能だからです.

仏教をはじめ,昔のインド哲学者達は,プラスもマイナスも共に捨てた苦楽ゼロの世界である解脱=涅槃を理想のゴールとしました.

もちろん,これには反対もありました.

究極のプラスを目指さなければ意味がない,というのが有の立場に立つヴェーダーンタ的発想であり,また,タントラ的発想です.

仏教も密教においては大楽をゴールとし,到達目標を,±ゼロから∞に変更します.

プラスじゃなければ人生意味がない,というのが彼らの言い分でしょう.

が,要するに,そうしないと人々がついてこないから,目標を,味気ない±ゼロから∞に代えただけのことで,いわゆる,「目的に沿って判断基準の方を変える」という技です.

「安全」な基準値というのが,安全かどうかの事実よりも,単に,結果から逆算して割り出されることがあるのと同様です.

保険の掛け金を割り出す数学のように.

結果から逆算して「事実」を仮構・加工する.

「事実」なるものは,知覚や推論に基づくよりも,我々の好悪に基づいて恣意的に設定されるわけです.

したがって,計算不可能な俗に言う「世に役立つ」観に踊らされるよりも,自身の実感を優先させる方が,よっぽど安全安心です.

それは,シャーンティの世界であり,熱が冷めた木陰の憩いの世界です.

「仏陀が医者である」との比喩は,±ゼロの病気治癒が目標であり,無病息災こそが健康である,ということまでを含意しています.

プラスを求める余り,栄養ドリンクやエナジードリンクを飲み過ぎるのが人の常でしょうが.

いずれにせよ,人が差異と差別の分別世界に生きる以上,「体に良い」という謳い文句の健康食品から逃れることはないでしょう.

そして,絶対のプラスを求めるという前進・発展の将来目標設定の足枷から逃れることもないでしょう.

たとえ0.1%であっても,成長率は「成長」を目標とする世界観に貫かれているわけで,最初から,増減を冷静に見る気はありません.

人間の本性に反して,最高でも±ゼロに持っていく後始末・後処理の「しんがりの思想」を唱えても,多くの人に無視されるのはそのためです.

そちらのほうが正しいのですが.

「失点を防ぐ」という定期祭的生き方が世に受けないのも同じです.

多数が愚かで少数が賢いのか,はたまた,多数が賢く少数が愚かなのか.

本当の「愚禿」はいずれなのでしょう.

はたまた、「役に立つ」狂想曲に踊らされるのも、シヴァのダンスの実有なる泡沫と見るか。
  1. 2018/07/02(月) 19:23:41|
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